November 10, 2010

沖縄中日

いい天気、まずは沖縄国際大学へ。ジェット機が激突した校舎は一部だけ残されて取り壊されていた。ジェット燃料で焼けた木が当時をしのばせる。
みなもとさんの友人、元高校教師の宜野座映子さんのコーディネートで、宮森小学校の元教師の豊濱光輝さんの話を聞きに行く。
豊濱さんは51年前ジェット機が墜落して、民間人6人と小学生11人が犠牲になった「石川・宮森小学校ジェット機墜落事故の証言集に昨年から取りかかっている。「事故を語ることができる迄50年の歳月が必要だった」
25歳の国語の教師だった彼は長いこと遺族恐怖症だったという。「1300人の生徒がいるのになぜうちの子が」「先生が生きていてなぜ子どもが死んだ」…。約2時間に及ぶ取材では涙なしには聞けない貴重な記憶の数々だった。
豊濱さんは宮森小までご案内してくれ当時の小学校の様子など、解説をしてくれた。「今、なぜ宮森?と聞かれるが、宮森じゃない、問題なのは米軍ジェット機墜落事故なのだ」。


この言葉を夜の「哀しみの母子像」公演で紹介させてもらう。宮森小も横浜緑区ジェット機墜落も、世界中で基地がある為に事故でなくなった人々へ思いを馳せて聞いて下さいと。佐高信さんも一番前で聞いて下さった。この講談は佐高さんに土支田さんを紹介してもらってできた作品、きっかけを作ってくれたご本人がはじめて聞いてくれた。「鬼の目にも涙」とは対談のはじめの佐高さんの言葉。伊波予定候補者の力強い挨拶、今沖縄はいや日本は正念場にさしかかっている予感。


Posted by k-kaori at 21:18:00 | from category: Main | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
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