January 24, 2012

まとめブログ11~21

またまた、まとめブログになってしまいました。昨年のムリムリ収束宣言をあざ笑うかのよう、元旦1日の地震以降福島市でセシウムの降下量が増えて不安な気持ちを抱えつつ、まずは11日の新宿スペースゼロの被災地応援新春寄席、講談「稲むらの火」林家たい平師匠の落語や漫才で「色々楽しめた〜」とはご近所の後常連の感想、小高商業の大根かりんとうは200袋完売、いわきTシャツは8枚。セシウムは気になるけど幸先のいい年明けとなりました。
15日の「脱原発世界会議」、「人と文化ネットワーク」の「いわきのジャーナリストから見た震災、原発そして今…」はほぼ満席で大成功、「日々の新聞社」安竜さんの朴訥な語り口と印象に残る話の中身、新聞購読申し込みが増えたのも納得。持ち込み企画の中では光った企画と、仲間たちと自画自賛。主催者は短い準備期間でよくぞ開催してくれました!他の会場のイベントもこれからYouTubeでゆっくり見ることができるのが嬉しい。
「脱原発世界会議」の興奮も冷めやらぬ翌日からは名古屋の劇団うりんこでワークショップ。「三方ヶ原軍記」を繰り返し皆で声を揃えて。結構しんどかったが6年目だけあって皆、酸欠気味になりながらも上手にできました(笑)
19日はFCで知り合った友人からの始めての記念すべき講演会。日本賃貸住宅管理協会さんの新年会で「フラガール物語」を一席。なんといわき市同士で男子校女子校の違いはあれ同級生!NPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の会員にもなってくれた荻野さん、震災がなければきっと知り合うことはなかったと思うと不思議な気持ち…。

21日は「しずおか女性の会」前日は雪、この日は雨、で、よりによって王子駅で火災があり京浜東北線は不通。皆埼京線を利用するからすごい混雑、一本遅らせようにも新幹線に遅れるわけにはいかないと無理無理乗り込み、斜めになって新宿へ。東京駅から走って新幹線へ。2分前にセーフ(笑)かいじょうは250人もきてくれました。被災地の話の後の講談は東海地震が気になる静岡ということで「稲むらの火」、皆さん泣いたり笑ったりハラハラしたりと楽しんで下さり、手応え十分な一日でした。
さてさて
武田さんのブログによるとセシウムが増えたのはどうやらがれきの焼却によるものと判明、さあ、煮ても焼いても食えない放射能、撒き散らした方々には死ぬほど考えてもらいたい!
それにしても事故後の政府の対応など議事録を取ってなかった不祥事や、事故後の原子炉内のデータを送るコードが短くて役に立たなかったなど、信じられない事実がこれでもかと次々。
絶望を通り越して笑うしかない?お笑いの皆さん、今ですぞ!

January 11, 2012

寒中お見舞い申し上げます

新しい年を迎えはや11日。本年もよろしくお願い申し上げます。
3日の初席、7日の「創り手たちの新年会」と年明けはゆっくりしたスタート、怒濤のようだった昨年を思い出しながら今後の行き方をじっくり考えることができました。とはいってももちろん答えは出てきません(笑)

写真はシネマネストJAPANの武重さん、「片隅のピアノ」監督橘内さん(福島市出身)
泉小学校同級生の山本さん、ドキュメント監督の佐藤さん(双葉町出身)(あとおひとり、ごめんなさい、名前を失念)

元旦の地震で4号機の配管が外れたり、あちこちで線量があがったりと今年も忙しくなりそうです。とぎれとぎれのブログ、今年もよろしくおつきあい下さい。
 
きょうはスペーズ・ゼロの新春寄席に出演します。行ってきます!


December 31, 2011

大晦日!1週間まとめ書き

あと3時間で2万人近い方が犠牲になった大震災の年、2011年が終わります。しかし、チェルノブイリ以上となってしまった史上最悪の原発事故は「収束」するどころか、海に山に田畑に、都市にと放射能被害は拡散し、今後ますます…。年末の1週間、あちこち動きました。そして28日の張り扇供養を終えた翌日扁桃腺をはらし、鼻風邪状態で大晦日を迎え今、今年最後のブログを。

23日、郡山迄足をのばし、「集団疎開裁判」の報告、広河隆一さんの講演を聞く。
チェルノブイリでは移住させらた赤い部分、郡山では同じ線量でも移住させてもらえないのだ。チェルノブイリでは事故後3年とくに変化がなく安心して生活していたら、その後ばたばたと病気になった。郡山は強風で寒かった。駅から出るとすぐに線量は上昇し、0、4とか0、5μSv。それなのにほとんどマスクなし。子ども達もマスクなして走り回っていた。嗚呼!

26日、織音が大掃除に来てくれて家族全員で大掃除。鳩達のトイレ状態だったベランダがとてもきれいになり、すっきりして夕方は庄野真代さんのライブで下北沢「音倉」へ、バンド名はデッセンバーズ、そう、庄野さん達全員が12月生まれ。12月生まれはドリンク一杯サービスでご馳走さま。楽しい一夜でした。

28日朝6時に福島をバスで出発し「原発いらない福島の女たち」が東電に「年末のご挨拶」に来た。申入書を手にし、東電内に入れてと願う女たちに東電の係の方はとても冷たく接したそうだ。寒空の中、なんとトイレも貸してくれず…。その女たちを経産省前でお出迎え。私が福島に住んでいたとき「チェルノブイリの祈り」を聞いてくれた人たちだ。「あの消防士の妻を可哀想に思ったけど、今やわたしらの方がもっと可哀想になっちゃった〜」。武藤類子さんの音頭で「会津磐梯山」を歌って彼女達は銀座へビラまきに移動。私はその足で薬研掘不動院へ。問屋街は歳末の売り出し中、財布を2つも買ってしまった。中身もないのに(笑)
恒例の「張り扇供養」今年は、震災の犠牲者の皆様のご冥福を心からご供養。帰りに港合同法律事務所の望年会に。安田弁護士お手製のおいしいカレーを頂き、わたしの仕事納め。

29日、「プロメテウスの罠」にも登場する浪江町の門馬さんご夫妻に「香織チャンネル」の出演していただく。40年前3人で始めた反原発運動、それがこの事故に遭遇し、今は北区に住んでいる。北区に移り住んだ当初はあまりの憤りに体調を壊されたとか。門馬さんは静かに言う「浪江町にもどれというなら、まず東電の幹部のみなさんが住んでください。自分たちの孫を浪江の学校に通わせて、浪江の水を飲ませてください。そうなれば私達も戻ります。浪江の人たちは戻りたくても戻れないのです」東電の幹部の皆さん、「率先垂範」ですぞ。

30日、新内、富士松鶴千代さんのご母堂の告別式。98歳大往生でした。合掌。午後、若者でにぎわう原宿、少し入った住宅街でぱたんぱたんとお餅つき。友人宅の餅つき大会でつきたてのお持ちをご馳走になる。白ごま、黒ごま、おろし、納豆、くるみだれ、のり巻き、雑煮、おいしいのなんの。大勢のみなさんが集まり会話もはずみ。子どものころ、土間で毎年両親が餅つきをしていたのを思い出す。つきたての持ちをこねる年寄り達。あの頃は原発もなく…。生みたての鶏の卵を食べ、絞り立ての牛の乳を鍋で沸かして、それを飲んでから学校へ。…ふかした大豆を若かりし母が笑いながら踏んで味噌作り。それらの様子が昨日のことのように思い出される。あのような「質素で贅沢」は福島県から消えてしまった。
そんな生活を望んで福島に移住した人たちも福島をさらざるをえなくなった。すべて放射能のせいで。東京電力放射能ばらまき事件のせいで。

「はだしのゲン」「チェルノブイリの祈り」を語ってきた私としては今も忸怩たる思い…とても新年をお祝いすることはできませんが、みなさま、一年間支えてくださり、ありがとうございました。NPOの方もいよいよ本格始動開始です。来年も応援のほど、よろしくお願いします。


December 19, 2011

ラジオビタミンときめきインタビュー

15日
「ラジオビタミン」聞いてくださった方、ありがとうございます。いや、生放送はあっという間でした。村上アナウンサーは私の本まで買ってくださっていてうまく話を引き出してくれました。メッセージも30枚以上もいただきました。
講談サロン1期生の笠井さんのメッセージは番組で紹介され天草のお仲間も喜んでくれたことと思います。
笠井さんはじめ愛媛の渡邊さん、徳島の高開さん、埼玉の若林さん、メッセージを寄せてくれた皆様、聴いてくださったみなさまありがとうございました!

16日香喋庵にて「北区子ども達を放射線から守る会」の田尻香織さんインタビュー。学校帰りの小4の娘さんも一緒に来てくれた。迎えに出てみると向こうの方から歩いてくるお二人の姿、すぐに分かったのは二人ともマスクをしている。偉い!
田尻さんも娘さんも原発事故の後、北区の医師会が500万出して食物線量測定器を北区に設置するべく申し出たのに、区はまだ返事を保留中なんですって。あきれた。4月頃からはじめていたら母親達もそれを活用し、少しは安心できて23区をリードする北区になっていたのに!また、母親たちの陳情を鼻でせせらわらう区議会議員が大勢いることも知った。
 事故後厚労省が母親向けに出したパンフレット。「食べ物は安全です。母乳も安全です」と根拠も数値もしめさず、お題目のように「なんでも安全」を繰り返すパンフ。これをみて不安になった母親達がツイッターなどでつながり、各地に会ができ、猛烈に勉強し、自分たちで子ども達を守り始めていて、この動きは全国各地に広がっている。
取材が終わったあと、郡山の「集団疎開裁判」が「却下」され、柳原弁護士の無念の記者会見を見た。「郡山市に居住する他の児童がいる限り、教育活動を継続しなければならず、教育活動を差し止めるのは困難である」との理由。おかしい。だって申立人14人の疎開を要求した裁判なのだから。答えになっていない。どうした裁判所!
時間をおなじくして野田総理は「冷温停止状態」を発表。あれっ?冷やすべく核燃料がどこにあるかも分からないのに??
裁判所も政府も、国民から乖離して音をたてて崩れて行く。希望と絶望の一日。

17日「第23回多田謡子反権力人権賞授賞講演会」に参加。永年反原発でがんばってきた石丸小四郎さん、佐藤和良さんたちが受賞したのだ。ハイロアクションの女性達も参加、武藤類子さんの静かな語り。大賀あや子さんの涙の訴え。いつ聞いても胸がいっぱいになる。28日には今年最後の東電前抗議と経産省前行動があるそうだ。ぜひ参加したい!




December 11, 2011

「さよなら原発1000万人署名」日比谷野音

10日は晴天、冬らしい寒い一日。「さよなら原発1000万人署名」日比谷野音の集会で司会を担当。野音に行く前には有楽町駅前で署名活動とアピール。

パンタさんのコンサートの間、スイステレビの取材を受ける。スイスは東電放射能ばらまき事件の後、ほどなくして脱原発に舵をきった国だ。いいな〜スイスは。日本はなんと原発輸出を可能にする原子力法案が国会で承認されたばかり。自分のお尻もふけないのになんという愚行!
大江」健三郎さんが「政治家達の原発に対する感覚が311以前に戻り鈍感になった。この風習の中で、原発を廃絶しようという根本の決意にたった運動のみが頼りだ」と。終了後はパレードに参加。香織倶楽部の野村さん福田さん鏡さんの3人がものぼり旗を持って参加してくれた。寒い中、みなさんお疲れさまでした!!皆既月食も見れたし、(首が痛かった)「つながれば元気になる、この輪を全国に」を実感した一日でした。