May 25, 2012

山形で「フラガール物語」

23日は午前11時半に米沢着。
4年前に「はだしのゲン」で呼んでもらった皆さんが中心となって福島原発避難者支援のチャリティー公演「フラガール物語」。開演までの間、九里学園高校で短い講話をさせていただいた。「チェルノブイリの祈り」の抜粋を語り始めると水をうったように静かになって聞いてきれた高校生たち。中にはいわきからの転校生も。福島から車で一時間ほどの米沢には3700人の避難者が、山形県全体では13000人の方が住んでいる。山形は高い山々が放射能から守ってくれた。線量は東京よりずっと低い0,04。
「フラガール物語」にはなんと50人近くの方々をご招待してくれた。避難者の会の武田さんに続いて私。マクラで福島の話をはじめると会場からはすすり泣きが。本編では大いに笑っていただき、懇親会も盛り上がりっぱなしでした。山形の皆さん、心に残る一夜をありがとうございました。


22日は静岡で県職員退職者の会に呼ばれました。
前日は金冠日食、当日はスカイツリー開業というので、上へ上へと大騒ぎ。しかし、東京新聞には2号機に続いて1号機も格納容器に穴、毎時数トンの汚染水が。上を見上げている場合ではない、足下では重大な事態が進行しているのだなどと思いながら新幹線にのってあっというまに静岡着。会場にはいって着替えようとしたら、嗚呼、なんと長襦袢を忘れてた!朝、大急ぎで半襟をつけたのに…。
時間がない、が、駅前のデパートにあるはずと走って買い求め、帰りは駅からタクシーで。歩いて7分の会場だから、運転手さんに思いきりいやな顔をされた。仕方がない。5分で髪をセットし、10分で着替え終えた途端にお迎えの方がドアをノック。涼しい顔でお供する私。おそらく直前のバタバタを彼は知らない。
福島、チェルノブイリと話し、最初と最後には「時間と小金があるみなさん、いまこそ大きな声で世直しを!出番ですぞ〜」と滑舌やら発声やらトライしていただいた。用意していただいたお弁当を帰りの新幹線でいただきながら、足下をみるのも大事だが、着物の小物の確認も忘れては行けないと慌ただしい一日を振り返った私でした。

花巻リフレッシュハウス下見

20日 秋田からの帰りに花巻へ寄る。福島の子どもたちの保養「リフレッシュハウス」を提供してくれている方にお宅の下見と周りの案内をしてもらった。まあ、花巻の景色のすっばらしいこと!どこまでも続く田園風景、遠景の山々、こどもだけでなく、大人も間違いなく癒される。一番近いスーパー、清水寺、高村光太郎山荘、県立花巻公園と案内してもらう。天気もよく、公園では大勢の家族連れが着物姿の私をめずらしげに見ていた。公園で汗を流し、公園と隣接している金矢温泉で汗を流す…行き届いている!宮沢賢治記念館の前には「童話村」が出来ていた。記念館から「新花巻駅」はすぐそば。夏休み等、家族連れに楽しんでいただける事間違いなし、です。

秋田で避難者の方々と

19日、普段「たんすのこやし」になりがちな着物を着て伝統文化と料理をたのしむ「川反夜会」に呼んでもらった。

場所は秋田の繁華街で有名な川反の老舗「割烹かめ清」さん。女将の友子さんはとても熱心で、あらかじめ聞いておきたいと、なんと、一ヶ月前の千葉と奥会津の公演に泊まりがけで来てくれたほど。
当日は昼の部で原発事故の避難者のご家族10名を招待してくれました。休憩時間は皆さんと歓談、なんと3時間もお話を聞くことができました。

今、1067人の方が秋田で避難生活をしているとのこと。原発立地地域から避難しているご夫婦たちはもう住めないと諦めていらっしゃる様子だったが、そんな様子に「どうしてそんなに普通に話せるんですか、帰りたくないんですか!」と声をあらげたのは郡山から幼い娘さんと自主避難したまだ30歳の方。夫は農家の長男で会社務め、実家の両親や兄弟たちも帰ってこいコール。彼女は目に涙を浮かべながら「帰りたい」と。「娘が毎日言うんです、パパに会いたい…」おそらくそれは彼女の気持ちでもあるだろう。「秋田は言葉も違うし、やはり、福島とは違う」と彼女。きっと、秋田にとけ込むのをよしとしない自分がいるのだろう。なるべくお連れ合いに来てもらい、一緒にいる時間をふやして、それから秋田での生活に自分からなじもうとしてみて、とありきたりの事しか言えなかった。
また、南相馬から自主避難し、仕事も秋田で見つけた40代の女性は小学生の息子とふたりぐらし。「南相馬の葬儀屋で仕事をしていた。津波で亡くなった方々が次々と運び込まれている状態で、仕事をやめて避難した、一大決心だった」と当時を振り返る。そして「息子が2人、上の子は高校生で、何度言っても避難しないという。仕方がない、今は実家の両親と暮らしているが、心配で心配で」と涙を流す。そして「息子なりに勉強してこう云っている。『自分たちは国に捨てられたんだね、おかあさん』と」。高校生にこんな絶望的な言葉をはかせるこの国の政府に、私たちは税金を払って養う価値があるのか!!
 2月に静岡での「さよなら原発1000万署名」集会でご一緒中田さんの事を聞いてみた。中田さんは元旦の地震で予定をはやめ秋田へ引っ越した。返ってきた返事に私は自分の耳を疑った。「彼女はちょっと過激なので連絡取ってない」との事。「脱原発とか、反原発とかはっきり言っているから」と。
えっ、これほどの目にあいながら皆様は「脱原発」「反原発」でないの!?私は面食らって…クラクラしながら思った。こういう方々にこそ「チェルノブイリの祈り」を聞いてほしかった!