July 15, 2012

いわき発安寿と厨子王物語

下北沢・音倉での「香織ちゃんんねるin音倉」1月の「フラガール物語」に続いて2回目は「いわき発安寿と厨子王物語」、16年前、いわきに住んでいた時に地元の人と造った作品。偶然ともいえるが、ゆかりの地が県内にたくさんある。やはり震災後の福島やいわきを語るにふさわしい。特にこの作品は、「山椒大夫」のお話の元がいわきであったということ。しかも、母子が別れ別れになり、乳母竹は兄弟を守りきれず、海に身を投げる、そして姉は弟を逃すため、自ら命を断つ、やがて十数年を経て息子と母は再会するという、400年も前から説教節として伝えられてきた母子の情愛の物語り。今日の放射能から逃れて古里を後にする、福島の状況と二重写し、なんと共通項の多いことか…。音倉にはサロンの生徒さんたちや、「人と文化」の仲間たちがきてくれた。ごく近くに、富岡町の「うなぎの押田」のご主人が避難して、こちらで出した「双」というお店があり、打ち上げに大挙したかったが、あいにく定休日。日を改めて伺いたい。1000年前の物語り。確かなのは、あの頃は人類と共存できない校放射能はなく、安寿と厨子王は山を転げ回り、海は川で何の心配もなく遊ぶことができた。「文明」とやらを手に入れた我々はいわきの海で泳ぐことすらできない、果たして「文明の発展」とは何か?「安寿と厨子王」は決して古典ではない、です。