November 01, 2012

東山温泉そして大熊町仮設

25日
高野山真言宗寺族婦人会「東日本ブロック研修会」に「フラガール物語」で呼んでもらう。いわきにいるときお世話になった金光寺さんから声をかけてもらう。途中東北自動車道の郡山で工事渋滞、線量は車中で0,4μもあった!下道へおりた堀野内交差点で0,36μも。磐梯熱海から磐越道に入って猪苗代辺りは0,13μと低い。会場の東山温泉「東鳳」に到着。講談終了後、会食、宿泊までご一緒させてもらう。いつものようにメッセージTシャツの説明をさせてもらったところ、さすがにお寺の奥様方、少しでも力になりたいと、Tシャツあっというまに30枚完売!夕食の時に挨拶のご住職さん、「奥さんの支えがあっての自分たち、皆でありがとう!といいましょう」と一声。貫禄のあるご住職のみなさまが奥様方のお席に向かって「ありがとう」と頭を下げたのはとてもいい風景でした(笑)
ディナーショウでは岬花江さんが民謡で鍛えたすばらしい歌を聞かせてくれた。岬さん、相双地区の海の近くにパン工房をかまえ障がい者のみなさんとパンづくり、いわきに住んでいたころ、おいしいパンを頂いたことがあった。それが、原発事故で…。借金だけが彼女に残ってしまった、好きな歌を歌って頑張ると!いつも笑顔の花江さん、心から応援したいです。(皆さんと写真、私だけが浴衣姿です)
「東鳳」自慢の大きな露天風呂でゆっくりし、またまた自慢の朝食も流石で、仕事なのに旅行に来たみたい、金光寺さん、婦人会の皆様、ありがとうございました。


 26日は会津坂下町の千葉ちか子町議にお願いし、若松団地の大熊町仮設住宅へ急遽訪問。ほとんどの方が菊人形祭りに、とのことだったが、数人の方が集まってくれた。自己紹介で事故からの経過を聞かせてもらって5人目のある男性「昔のことゆったってで何にもなんね、これからのことだっぺ」と名前も言ってくれない(それまで5人の女性は事情がよく分かったのだが)その方の隣の男性も名前もいわずに「役場に家を探して欲しいと言っても動かない、10人家族がバラバラに暮らしているのに」と訴える。緊急時とはいえ、私は、家は自分が中心となって探すものと思っていたが…。他にも「冨岡や双葉が被曝手帳をつくるのに、大熊町長は『大熊は被曝してないから作らない』と言っている」など役場や町長に対して不満が噴出。それを行政に訴えたのかと聞くと町会議員がここに来ないから訴えてないという。
 きっと事故前まで大熊町は行政サービスが行き届いていたのでしょう。町民はその時までは恵まれていたのかもしれない、でも、今は違う。
やはり、声は届けなきゃ、届けに行かなきゃ。
「私も聞き歩いた皆さんの声を各地に届けてる、みなさん本当の情報を知りたがっています。そうやって連帯して政治を動かしましょう」と集会所を後にした。

私のそばに居た男性からちらっと聞いた話。事故後避難所に原発作業員を探しにきた人たちがいた。ふとんをかぶって隠れていたところ、みつかり何人も危ない作業に連行されたそうだ。東電社員の多くはさっさと、周りに何も言わずに逃げて、地元の若い作業員たちが隠れていてもかり出される。東京本社の中年や初老の皆さんが入るべきだったのでは?と今でも思う、あっ、これからでも遅くないし。