August 17, 2010

御巣鷹山の犠牲者のみなさんに会いに行く

やっと25年目にして御巣鷹山の犠牲者のみなさんに会いに行く事ができました。
7時に車で出て、10時半に到着。空は快晴、都市部の気温は36度以上という猛暑だが、御巣鷹山の尾根の上は涼しい風が吹いていた。点在する犠牲者の墓標、そのひとつひとつに途中で人生を閉ざされた人々がいる。幼児もいれば、私と同じ年の人も。たまらなくたってしばし号泣する。
日頃の運動不足を反省しながら、「昇魂之碑」へ。
さらにその奥へと上っていくと焼け落ちた木の切り株があった。中は空洞、砂がたまったその空洞の中から6、70センチに木の芽が伸びていた。ありふれた言い方だけど命のたくましさ。そのたくましい命を奪われてしまった520人の御霊は今、浮かばれているのだろうか。

 その年の夏、私は29歳。講談3部作としてジャズ講談、剣舞講談、寺山修司講談を連続して発表、そのいずれかは忘れたけど、発表会の直前の大事故だった。墜落後、しばらく場所を特定できなくて「どうして?」とハラハラしながら報道番組をみていたことをはっきり記憶している。犠牲者の御霊は、事故の真相が隠されたままでは浮かばれない。
 戦争、原発事故、米軍ジェット機墜落事故、ジャンボ機墜落事故。果たして、科学の進歩は人類を幸せにしているのだろうか。

 山をおりて日帰り温泉につかる。露天風呂で隣のおばさんに御巣鷹山に行って来たと話すと「自分も行こうと思ったが友人から『霊がつくよ』といわれて止めた」とのこと。霊がつくなら、私に犠牲者の霊がついたなら私は彼らと話してみたい。墜落するとき何を思ったか?そして今、何を望んでいるのか。と。