May 16, 2006

「秩父の通過儀礼」

サザンシアターで姫田忠義さんが主催する映像民俗学「日本の姿シリーズ」の「秩父の通過儀礼」を観た。秩父に伝わる通過儀礼を通していかに人が大切に扱われ成長し、成熟し、やがて死んで行くのが道理にかなっているか、それがしみじみと伝わってくる。大切に、といっても貧しい農村、お金をかけるというのではない。「手間ひま」をかけ「地域の人々」に「儀礼」を通して認めてもらいつつ成長してゆくってことだ。赤ちゃんの産着のえりに蚕から取った真綿の糸を縫い付ける、「お守り」。作業中、ひたすら子どもの無事成長を祈る。生後すぐの「せっちん参り」、両隣の家のお便所の戸をあけ、お便所の神様に、赤ちゃんを抱きながら、お礼にいくってどうして?って感じだが、伝統だからだそうだ。地域に伝わっていた行事が「古い因習」としてなくなっていった高度成長期。祭りもなくなった。その結果、大切に育てられた記憶もなくなった。大切に育てられなければ自分を愛せない。自分を愛せないものは人も愛せない。小学低学年が殺される事件が多発している。教育基本法を変え上から押さえるより、地域で通過儀礼、せめてお祭りを復活させることがひいては犯罪防止にもつながるのでは?前に観た「イヨマンテの熊おくり」「下園の十五夜行事」「金沢の羽山ごもり」も引きつけられた。このシリーズは見事な映像とともにその辺のことも感じさせてくれる。