August 03, 2015

獏原人村から栃木市へ

8月2日
福正寺住職の松濤さんは長崎の出身でお母さんから原爆投下時の悲惨さを聞かされて育ったと言う。当時17才だったお母さんが工場で勤労奉仕中に原爆投下、200人が犠牲になり奇跡的に助かった3人に内のお一人。戦後なくなった友人宅へのお参りを始めたと言う、幼い松濤さんの手をひいて…。今年3回目の「原爆展」を市内で開催するきっかけは、入院中に遭遇した3,11。母の口癖は「後始末できないものはつくるな」。母から語り継がれたことを形にしなければ。そんな想いから原爆展を始められた。講談はだしのゲンの前には吉澤浩子さんの朗読で「第二楽章長崎から」、会場は300人も入り大成功。きっと今はなきお母様も喜んでいる事でしょう!

8月1日
川内村の獏原人村の満月祭にはじめて参加した。県道から脇道へ入り10分ぐらいだが、進むに連れて道路が悪くなり、車の底をすりながら到着。遠くに山々、回りは雑木林、自然に囲まれた中に、母屋、別棟、ドーム、常設のステージ。母屋の下には大塚愛さん一家が住んでいた家。ここに宿泊させてもらったが、絵本などがそのまま残っており、愛さん一家の息づかいが聞こえてくるようだった。自分で家を建て、自家発電、自給自足で子どもを育てていたのに、原発事故がその暮らしを奪ったのだった…。なのに誰も責任を取らないなんて!その怒りの声に答えるように、市民らによる検察審査会が結果をだしてくれた。7月31日に東電、勝俣氏らの責任を問う検察審査会が再び起訴の議決を出したのです。今回は2度目だから強制起訴となり、やっと原発事故の責任を問う事が出来る!
猛暑の中、午後1時半から一時間の講演、冒頭でこの話をしたら皆さん拍手で応えてくれた。私の後に出演の武藤類子さんの報告を聞きながら、でこぼこ道を一路栃木市へ。


Posted by k-kaori at 16:34:00 | from category: Main | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
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