April 23, 2015

釜山故里原発ツアー訪問記

4月17日
きょうから20日まで釜山の故里原発に反対する皆さんと交流、また、また新故里原発からの電力を高圧線でソウルへ送る送電線建設反対運動を10年もがんばっている蜜陽(ミリャン)の皆さん、大邱では若者の脱原発運動、被曝2世の方と交流するという盛りだくさんの内容、総勢24名で成田を出発。
まず釜山のホテルに到着するとロビーに金海蒼(キム・ヘチャン)慶星大学教授とカメラクルーの姿が。早速、今回のツアーの目的などの取材を受け、それからチェックイン。さすが金先生、寸部の無駄もありません(笑)が釜山で環境や脱核の活動をしている市民団体との交流。中区の副区長さんが歓迎の挨拶、その後会食。行政が私たち24人を歓待してくれた、日本じゃ考えられないです(笑)昨年5月に講演したYWCAの代表ともうれしい再会でした。金先生がまたすてきな歌声を披露して、日本側からも天羽さんが歌のプレゼント、とてもいい幕開けとなりました。
4月18日晴天。
地下鉄で移動してこり原発廃止市民行動に参加。総勢80人ぐらいで行進。私は挨拶後、タクシーでハンギョル、アートホールに向かい講談の準備。行進の後、公園でビラ配りをしたら90%の方々が受け取ってくれてその場で読んでくれたとか!開始時間は大幅に遅れたものの講談も無事終了。その後、古里原発による健康被害を訴えた韓水原に勝利したイ、ジンソプさんの話を聞く。発達障害の息子と二人三脚で国内を3000km行脚したという人で、日本でも8カ所ぐらいで講演したそうだ。彼は最初から自らの甲状腺ガンだけを訴えるのではなく、お連れ合いさんの大腸がん、息子さんの発達障害を訴えた。その内、彼の甲状腺ガンだけが原発由来と認められた。彼も弁護士もまさか勝てるとは思ってなかったとか(笑)客席には釜山で脱核運動に携わる教授数名も参加し、質問も飛び交い内容の濃い一日となりました。


19(日)朝、散歩していたら雨が振り出してこの日は一日雨でした。
午前、ホテル前に到着した人数ぎりぎりの小型バスで、故里原発へ。昨日のイ、ジンソプさんがガイドしてくれました。まずは「エネルギーファーム」という原発広報センター、韓国の電力会社が自分たちの技術だけで作ったと自慢する新型炉「新古里原発」はなんと140万キロワット(世界一)。これを海外に輸出する為にもはやく稼働させたい、その為の送電線が蜜陽に建設中で、他に青道(チョンド)でも反対運動が起こっているという。外では歌謡曲が大音量で流されていて、これは「約束通り5キロ先へ町を移転させて。約束を守って」と言う内容で有名な歌謡曲の替え歌との事。一日中聴かされてはたまらないのでは(笑)故里原発は500メートル先が住宅街、最初から時期がきたら移転するという約束だったそうだ。5キロ先の意味は…補償金がもらえる範囲だそうで。
1時間半バスに揺られ蜜陽に到着。両脇が柿畑の坂道を登って行くと近くに送電線の鉄塔がそびえている…。まったく似合わない景色でした。すでにみなさん昼食を作って食事しながら交流しようとテントでお待ちかね。ところが24人が入ったらもうぎゅうぎゅうで、村のみなさんは外で待機。栗入りよもぎスープに小豆ご飯、春菊の胡麻和えなどなどとても美味しくおかわりした程でした。
交流会では「日本の原発は何基動いているのか」と質問され「今はゼロ」と答えたら「おお〜」と拍手が!急いで「私たちの力で止めたのではない。震災後地震や津波に対する基準が厳しくなった結果」と説明、再稼働は自分たちの力で止めたい!

密陽からの帰途には大邱(テグ)市へ。数年前に侵略時代の真相をもっと知りたい、また日韓の文化交流を盛んにしたいと大邱に居を移した計明文化大学の岡田卓巳はとても熱心な方で若者達の日本語の先生でもある。その生徒の一人、陳さんは親が広島長崎で被爆した在韓被曝二世で、陳さんから話を聞く。生活も貧窮し身内にガンでなくなった方が多いとのこと。釜山にすんでいても被曝手帳ががうけられるようにすべきでは。毎週火曜日に脱核行動をしてアピールしている学生や若手の活動家たちとも懇談。日本語が上手な若者が多いのには驚きました。一緒に夕食を摂った居酒屋「バボチュマク」は「奪われたのにも春は来るか」の詩人、李相和の兄が開いたお店でお店のとなりは李相和が生まれ育った家。おもわず記念写真をパチリ。

食後はまた2時間バスにのって10時半にホテル着。疲れたけれど、とても盛りだくさんの一日。さあ、明日は観光です。
20(月)今日もあいにくの雨。最終日は午前中観光ということでまずは国際市場へ。おかゆ専門店であずきおかゆをいただく、美味しかった。ガイドさんも同行してくれてめずらしい芸術の丘へ。朝鮮戦争時、避難民が住んでいた山の斜面の住宅地、近年、立ち退きをせまられていた貧しい人たちを救おうとアーチストたちが空家をギャラリーにしたり家々の屋根や壁にペイントを施しまるまるアートの街に作り替え、今は人々を魅了する観光地!後ろ向きの鳥は、顔が人の顔をしている。一日かけて歩きたいぐらいでした。

また、住む家のない人たちが、植民地時代の日本人の墓地の納骨堂や墓石の上に家を建てすんでいる場所も見る事ができた。なるほど墓石を家の基礎にみたて再利用。基礎としては墓石はたしかに優れているかも(笑)
早めに空港に到着し、旅の思い出を反芻しながらビールで乾杯。釜山の大勢の皆さんと交流できたこの感動を、お互い次の出会いへと繋げて、脱原発にむかって一歩すすむ事ができた手応えのあるツアーでした。釜山の皆さん、24人のツアー参加者の皆さん、お疲れさまでした!


Posted by k-kaori at 10:26:00 | from category: Main | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
Comments

恵:

素敵な出逢いと交流・・
のどかな韓国・・再開発が都心部であるのでこんな景色いいな・・
屋根裏のプリンス・・韓国ドラマのロケがいいのです・・
住む家がない・・なぜに?
(April 26, 2015 19:08:44)
:

:

Trackbacks
DISALLOWED (TrackBack)