February 19, 2012

「さよなら原発四国集会」

雪が心配されたがとてもいい天気、ホテルの窓からは松山城がくっきりみえた18日、男女共同参画センターまでキャリーバックをひきながら散歩がてら25分歩いて到着。16日に国会前ラン一を走り終えた昨日東京で報告集会を開いていた中野勇人さんが、飛行機の中でも走ってたのか?ほどなく会場へ。
郡山市議の滝田春菜さんの現地報告に、会場は水を打ったように聞き入る。私もなんどかため息が出た。除染を町内会に任せ、汚染土をどうするかで住民同士がいがみあう。避難した人、したくてもできない人たちの人たちとの軋轢、自然の中で戯れることもゆるされず、外遊びが3時間しかできないでまもなく一年をむかえる子どもたち。何より人間関係を分断して本当の敵が分からなくなっている無念さ。しみじみ伝わってきました。

 先週の12日、静岡で開催された東海ブロック集会で、秋田に移住した中田さんの話を思い出す。私が「チェルノブイリの祈り」の消防士が放射線障害で日々別人のように変わっていくワンシーンを語った後の中田さんの発言。爆発後、南相馬にボランティアに入った彼女はその後、甲状腺がはれて、腕の内側に水ぶくれができたと言う。程度の差こそあれ、あきらかに放射線障害の症状だ。彼女は元旦の地震で意を決して秋田へ引っ越した。「思い切って秋田へ引っ越し、こどもが外で遊ぶのをみて、これが普通の生活なんだ、移住してほんとによかった」仕事の心配等大変だろうが、まだ若い中田さん、頑張ってほしいと心から思った。

1000万署名まであと500万、目標に向かって心を一つにした松山での集会の後、滝田さんから話しを聞きながら東京へ。「被爆者援護法」いわきでは議会で決議された郡山ではうまくいってないという。徐々に放射能の話題は敬遠され、何事もなかったかのように生活しようとしている…。滝田さん、ぜひ情報発信して!とツイッターを薦めて、東京駅から新幹線に乗り換える彼女を見送った。


Posted by k-kaori at 14:37:00 | from category: Main | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
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