June 18, 2011

宮城県の被災地取材

 震災から100日の今日、4人で朝7時に合流し、宮城県へ。高速料金1000円割引の最後の土日ということもあってか結構走っている。
 石巻に降りたとたん、魚と生ゴミのまざったようか匂いがした。この匂いは現地へ来なければ分からないと、ほこり舞う道をはしってまずは女川へ向かう。
家々はまだ壊れたままだ、やっと手をつけだしたという段階か。ちょっとした湾の違いなのだろうか。海沿いの集落は被害にあっているところと無事なところがある。

 
 女川港は映像でなんどもみている津波襲来の場所だ。24歳の女性が津波放送をしていて海にさらわれた役場、ビルが基礎からひっくり返っている。ビルの中の駐車場に収まっている車もそのままだ。「健康食品100歳迄生きる」の看板がなんともむなしい。

 引き返して辺見庸の出身地石巻へ。彼の出た小学校は焼けただれていた。漁港にある沢山の加工場は波がぬけていき、見る影もない。小名浜港とは規模が違う広さ。魚の腐敗臭で鼻が曲がりそうだ。休息しているのかうみねこが数百羽、壮観だ。



 石巻漁港のすぐそばに住宅街があったのだから、つい先頃迄の人々の営みが想像できてなおさらため息がでる。多賀城駅のちかくのビジネスホテルに宿泊。ここも1メートル以上波がきて、水や泥がひくのに2ヶ月もかかったそうだ。ホテルの近くの飲食店は再開したばかりらしくほとんど満席。スナックのようなお店に入ったが中は結構広くて、お刺身も。ほやと鰹をいただく。とても美味しい。カラオケもあり地元の人たちと歌いまくってお話しし、忘れられない一日となりました。

Posted by k-kaori at 08:40:00 | from category: Main | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
Comments

時雨恵:

日程で被災地慰問とあったので
石巻にいかれたのですね
陸前高田・遠野・北上・気仙沼・久慈
民間にいた時の同期がいる。
33年の付き合い去年の同期会いけなかった
次回にとおもってたら・・・
町は少しずつ暮らしができているようですね

最後まで冷静に自分の職場を離れずつとめた女性・・親御さんの気持ち思うと切ない
話ばっかり・・
大人になれなかった子供たち・・
忘れないでいることしかできない 
(June 21, 2011 21:45:55)

k-kaori:

時雨さん、遅まきながら被災地の写真と19日のブログアップしました。下川の家々は外見は変わりなくても、中が壊れていたり、これからも取り壊す家が増えそうでした…
(June 23, 2011 13:29:12)

時雨:

写真ありがとうございます
現実と向き合うって酷ですね
実家も物置倒壊従兄弟は小浜新築の家・・・
どう再生・・個人の力でできない
長期的と今の支援と住み分けかな
元同僚に連絡とりつつある
カトリックの人ですが支援につなげていく
神田さん職場の人がテレビにでてたと
いってました
テレビに限らず活躍祈ってます
娘さん身体は病とあったので心配してます

熱中先生はお母さん譲りかな
(June 23, 2011 22:06:58)
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