August 31, 2016

安寿を寄席で、マルセ太郎氏、むのたけじ氏を偲ぶ

25日、上野広小路亭、マクラでオリンピックの日本勢大活躍の話のうち、レスリングの銀に終わった吉田沙保里選手、お母さんが「ほんとによくやった、霊長類最強なんで言われているけど私にとっては、ひとりのかわいい娘です」この言葉を導入に親子の情愛がテーマの「いわき初安寿と厨子王物語」前半、親子別れの段を語る。そして来月の日本橋亭では後半の山椒大夫のもとでの辛い日々と母との再会を。二つに分ければ十分に定席で語ることに今頃気がつくとは(笑)
昼席後は歩いて文化フォーラムに移動し、「マルセ太郎鑑賞会」。15年前に亡くなったマルセさんがスクリーンいっぱいに。今回は山田洋次監督の「息子」。まずは、方言がいかに良きものか、北海道弁、秋田弁、長野弁、九州弁を語りわけで笑わせ、本編に。そしてこの前段が活きてくるのだ。
マルセさんの毅然とした怒りと上質な笑いが今ほど求められている時代はないような気がする。マルセさんだったら平気で国民を欺く現政権をきっと溜飲が下がるような怒りで笑わせてくれるのだ‥。
26日には高畑淳子の記者会見があった。痛々しくて見ていられなかった。子を持つ母はいつも子どものことを案じている、私も二人の娘のことが頭から離れない。それにしても「好事魔多し」とはよく言ったものだと思う。「魔がさす」ことの恐ろしさ‥。敦子さんは特徴のある個性派女優さんだ。どうかこんどのことを肥やしにして、仕事を続けてほしい。
さて、この夏は大切な方々がお亡くなりになった。永六輔さん、大橋巨泉さん、藤田祐幸さん、そして先日101歳で大往生のむのたけじさん‥。かつて横手のむのさんのお宅を訪ねお話を伺うという僥倖を得た。その後お手紙を頂いた。それは私の宝物。これからも見守ってください。


August 10, 2016

天皇のメッセージ、井原さんの「平和への誓い」

8日の天皇のビデオメッセージ。普通ならとっくに楽隠居の年齢でありながら「象徴」という大役を担って老体に鞭打って働いている天皇ご夫妻。天皇の、皇室の人権について議論してこなかったこと猛省しなければ。憲法を葬り去ろうとする現政権に立ち向かい、憲法を遵守し、災害にあった国民に暖かい眼差しを向けるご夫妻。生前退位はぜひ実現してほしい。そして8月9日の長崎での平和祈念式典。井原東洋一さん、「平和への誓い」素晴らしい内容でした!
「幼い頃、神の国日本、欲しがりません勝つまでは,などと教えられて過ごした私は、相次ぐ空襲に逃げまわり、防空壕で息を潜め、日本の敗戦は近い、と思っていました。」
「原子雲の下は、想像を絶する修羅場となり、日本人だけでなく、強制連行された中国人や動員された朝鮮人、戦時捕虜のアメリカ人や諸国の人々を含むおよそ7万4千人が無差別に殺され、虫や 鳥や植物などのすべての生き物も死滅しました。」
「翌日から救護活動に参加した母や姉兄などの体験で、惨劇の大きさを知りました。その母も姉も兄も、歯茎から血を出し、髪が抜けるなど長い間の苦しみに耐えながらも、次々に原爆症で亡くなりました。」
「広島に歓迎されたオバマ大統領は、空から死が降ってきた、と叙情的に表現されましたが、広島のウラン型原爆に対して、長崎にはプルトニューム型原爆が投下されたことから、私には、二種類の原爆による実験ではなかったのか、との思いがあります。」
「政府には、原爆症や被曝体験者の救済について、司法判断にゆだねず政治による解決を望みます。」
「しかし私たちは、絶対悪の核兵器による被害を訴える時にも、日中戦争やアジア太平洋戦争などで、日本が引き起こした過去の加害の歴史を忘れてはいません。」
「わが国は過去を深く反省し、世界平和の規範たる日本国憲法をつくり、これを守ってきました。」
「国会および政府に対しては、日本国憲法に反する、安全保障関連法制を廃止し、アメリカの核の傘に頼らず、アメリカとロシア及びその他の核保有国に核兵器の「先制不使用宣言」を働きかけるなど、核兵器禁止の為に名誉ある地位を確立されることを願っています。」「地球市民とともに、核兵器廃絶の実現を!」

ハリのある声で堂々と訴えられた井原さんとは長年の友人、とても誇らしい気分です!


August 06, 2016

新庄、刈萱縁日、そして8月6日

2日の東北道、福島あたりはバケツをひっくり返したような豪雨でした。何とか無事に新庄駅近くの宿に到着。3日は最上地区教研集会で午前中の講演会。去年の秋、山形市内での「母と女教師の会」に呼んでもらったのが今回に繋ったと、嬉しいです。日本酒の土産をいただき、4日の西光寺目指し猛暑の中移動開始。日本海は珍しく凪いでいてキラキラの海面。今宵は先月2回も呼んでもらった懐かしい新潟に泊まることにし、ホテルの部屋で組閣に呆れつつも、毎月3日は「アベ政治を許さない」の日。あきらめないぞ〜と一人気焔を吐く私でした。
4日、善光寺近くの西光寺本堂で開催の「かるかや縁日芸能鑑賞の夕べ」にて「安寿と厨子王」を。猛暑の中地元の若者たちが夜店の準備中。36年も続いている夏の恒例行事として東京からも毎年お客様が来るそうです。2年前に豊田市で副住職の奥様、竹澤環江さんの絵解きと共演させてもらい、28年前「はだしのゲン」で呼んでもらっていることを確認。そして今回はうれしい2度目の出演となりました。ありがとうございました!
6日は朝からオリンピック開会式、広島平和式典、そして高江へ1000人も終結し、機動隊との闘いと心騒ぐ一日。私は10時開場10時20分開演、野方区民ホールで「はだしのゲン」、午後2時からは麹町教会で「呆れ果てても諦めないー福島は沖縄から学ぼうー」というテーマで講演。戦後71年、文字通り暑くて熱い充実した1日となりました。