March 23, 2012

つるりん和尚訪問記

21日の福島市での「はだしのゲン公演の翌日、常円寺のつるりん和尚こと阿部光裕さんを訪ね、除染の取り組みを取材させてもらう。
阿部さんには「ふくしま支援人と文化ネットワーク」のイベントにも登場してもらっている。線量の高い渡利地区を通過して常円寺へ。眺めのいい高台にある常円寺の駐車場から遠景を撮影していると、作業着姿の阿部さんの車が。明日は30人ほどのボランティアが来るということで、すでに3人のボランティアの人たちと除染に向けた線量測定を開始していたのだ。早速、庭においてある汚染土が入った容器のふたをあけて外との線量の違い等説明をしてくれた。

すぐ近くの道路ぎわのホットスポット。葉っぱに線量は50μを越えている。道路の端にゼオライトの白い粉末が点在している。ここには近づくな、道路の真ん中を歩くようにいう意味。そばを小さな男の子2人をつれた若い奥さんが歩いている。どんな気持ちで日々を過ごしているか、心が痛む。名古屋大の学生が体育館の外の砂利や土を測定していた。砂利の上は10μ。この体育館は普通に使用している…。
車で辺りを案内してもらう。除染後の土がブルトーザーで運ばれ、大きな山がいくつもできている。雨でセシウムが流れて大波地区の田んぼへ。汚染米が出るのは当たり前ではないか。

常円寺の裏山を近所から出た汚染土の仮置き場にして管理している。ここは粘土質でセシウムを逃がさないのだそうだ。除染の研究とボランティアの指導など阿部さんの日常はもはや放射能とは切り離せなくなっている、彼の積算被曝量も気になるところだ。
前夜の福島市での公演後の交流会、演目が原爆の「はだしのゲン」にもかかわらず誰一人、放射能についての質問はなし…。そこに福島市内で日常を営むみなさんの静かな慟哭を私は感じた。見えない弾丸が身体を縦横無尽に射通している日常、程度の差はあれ関東に住む私たちも一緒、見えないものをみていくには想像力しかない、再稼働目論む人たちには望むべくもないが。



March 19, 2012

子育て卒業じゃ〜

18日は午前中、娘の卒業式。朝早く突然「着付して」と起こされた。着付けのこと、なんどメールしても返事なし、もうすっかり自分で美容院の予約をして準備万端かとおもいきや、何もやってなかったのね〜。せめて前夜から言ってくれればとは思いつつ、ここしばらく声すら聞いてなかったので、内心安堵しながらひたすら着付けをさせてもらい送り出し、私も後から大学へ。これでやっと子育てが終わったのだと感慨無量。が「親」はまだまだ続く…嗚呼。
29日までスペース・ゼロにて開催の「3.11あのね。」展、昨日に続き初日の今日も顔を出す。大震災、原発事故から一年が経ち、福島県民が塗炭の苦しみに喘いでいるのに、再稼働するぞと意気込む首相、なぜだ〜、どうしてだ〜、とここしばらく落ち込んでいたが、会場一杯の絵を見て回るうち、目の前がパーと明るくなり、浜通りの海が、魚が、空が、景色が甦って来て、子ども時代にワープしたよう、鬱積した気分を一掃してくれた。ありがとう、子どもたち!!



版画家蟹江杏さんが相馬へ通って子どもたちを指導、ぐんぐん表現力を引き出した相馬の小3の子達の絵画は、豊かな色使い、躍動感にあふれている。津波被災地の子達の作文は原稿の文字がまた味わい深い、細かい字、整った大きい字、薄い字、お母さんを待ち続けている子もいる。今はどんな気持ちだろうか…。5時半からの初日祝いには講談サロンの有志もかけつけてくれた。蟹江さん、「親を亡くしたことを実感し、一年前より元気がない子が増えている。可哀想と思うけど、養子にするわけにもいかないし、…私独身だし」と深刻な中にもユニークな挨拶。24(土)25(日)は午前11時から「こうだんワークショップ・七五調であそぼう」午後からは「手作り絵本ワークショップ」やります。29日まで全労済スペースゼロにてお待ちしてます。http://www.support-fukushima.net/


March 12, 2012

大震災から1年目、徳島へ

「島」繋がり?「広島」を語ってきた私が「福島」を伝えに「徳島」へ!
大震災から一年目の昨日は、羽田空港から阿波踊り空港へ。
走る男、中野勇人さんが迎えにきてくれていて、会場のアスティ徳島へ。ここは昨年9月にも高開千代子さん達に呼んでもらった会場だ。四国には今年毎月呼んでもらっていて先月の松山市でも聞いてくれた方がまた数人参加してくれていた、うれしい。会場は立ち見が出るほどの400人。
「さよなら原発徳島集会」の一部は「さよなら原発徳島実行委員会」結成総会、2時46分黙祷の後、小出裕章さんのビデオレターを受けて私の講演、福島の怒りを伝えるぞ!、伊方原発再稼働させないぞ〜と私のテンションはのっけから上がり、瓦礫受け入れや食べて応援に対する訴えから入る。自分でも何が口をついて出るか分からない(笑)相当鬱憤が溜まっていたのだわ。でも皆さん、泣いたり笑ったりであっと言う間の一時間でした。懇談会では福島のこどもたちの保養地にも話が及び、夏休みに実現できるかも?
 今日は「阿波木偶の人形会館」で人形の制作法等説明を受ける、素材の桐は会津産、からくりのばねはくじらのひげ、艶顔のおしろいは牡蠣のからを石臼で挽いたもの。素材は自然のもので表情豊かな、400年も前からの阿波木偶人形、日本人の繊細さ、手先の器用さ…。本来、日本人には知恵がある、原発なんかなくたって絶対にやっていけると確信して(もっとも今はたった一基しか動いてないのだが)阿波踊り空港を後にした。短い時間で観光までさせてくれた高開さん、2日間安全運転で私を運んでくれた中野さん、ありがとうございました。四国の皆さん、また、お目にかかりましょう。



March 05, 2012

いわき市の農家との交流と援農ツアー

3月3、4日、「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」ではいわき市のNPOザ・ピープルとの共同事業として、「いわき市の農家との交流と援農ツアー」を開催しました。福島は原発事故だけが大きく報道され、その陰で暮らしている人たちの日常生活についてはあまり報道されてない。この機会に津波被災の状況、農家の人たちの悩みと課題を聞き、さらに交流を通して、今後の福島の在り方について共に知恵を出し合おうと、首都圏から23人が参加。私は3日に秋田で工藤新一市議の会で講演があり、翌朝こまち、やまびこを乗り継ぎ郡山駅へ11時半に到着。8年前東京から遠野町に移住している方に運転手をお願いして、昼過ぎいわき市遠野町の為朝集落の集会所へ到着。皆さんは春菊の収穫、ビニールハウス作りなどの農作業を終え、地元の女性たちの心尽くしのカレーで昼食中。私も早速いただいた。朝取りの野菜のサラダ美味しかった。もちろんカレーも。この地区は井戸水で生活。4・11の余震の影響でわき水を取水できなくなり断水が続いている。(いわき市の地震被害は3,11よりこちらの方が甚大)国が災害と認めないため、新たに水道を設置するとこの集落で一軒1000万円の自己負担が必要だといわれているそうだ。昼食の後は参加者の感想を聞く交流会。予想以上だったと皆さん興奮気味でした。同地区にオーガニックコットンを栽培したいと思っていた方も参加し決定!その土地でみんなで集合写真。うまくいくことを祈ってます。遠野町為朝地区の景色。春になると梅や桜が咲き誇るそうです。


久しぶりに実家に泊まる。1月いっぱい原因不明の病で?歩けなくなっていた父は回復していて安堵。ただ耳が前より遠くなり、ラジオの「認知症のくい止め方」を「民主党のくい止め方」と聞き違えたりして(笑)私としては認知症より民主党の暴走を止めたいのだが…。