April 29, 2017

べとなむ訪問記2「平成世直し講談会」

一回目の報告が15日。間隔が空きましたが、戦場カメラマンの草分け、石川文洋さんといく北ベトナムの旅、続きです。
4月9日、サパから約2時間半かけてバックハーのサンデーマーケットへ。買い物時間は約1時間、ガイドのティエンさんが市場の中を引率しながら最初に連れて行ってくれたのが市場を見下ろす水牛売り場の広場。さすがに水牛はチョットw。市場は手の込んだ刺繍のバックや小物や衣類がズラッーと並び目移りして選ぶのが大変。
 添乗員の小山さんが交渉してくれて幾つかの刺繍のバックをゲット。皆さんも沢山買い物をしてまたバスに揺られてサパへ。今夜は食後に盧佳世さんの歌が披露されるということで、私も前座で講談を一くさり。佳世さんは市場で買ったばかりのとても素敵な民族衣装で登場、歌よし衣装よし、その上レストランは貸切状態。ぜいたくな一夜で盛り上がりました。
 そして、翌日10日はハノイへまた6時間以上かけて移動、途中俳句の宗匠、福田水明さんの指導で「春」を季語に句会が催され一人二句づつ挑戦。な、なんと「天」に選ばれたのが私の句!毎週プレバドを見ている甲斐があった?(笑)
「モン族の子らはにかみて春の市」水明さんに少々手直ししていただき
「モン族の子らのはにかむ春の市」。
 11日は植民地時代フランスによって作られた監獄、ホアロー収容所へ。フランスの支配に抵抗するベトナム人が収容された独房、集団房、拷問の道具などに当時の拷問の激しさを想像し、鳥肌がたつ‥。ベトナム戦争時は600人以上の米軍捕虜を収容していたが、敵なのに丁寧に扱い、自分たちの1、5倍の食料をあげコンサートやスポーツもさせるなど丁寧に扱ったそうだ、なんと寛大な!
枯れ葉剤被害者が入院している病院へ。軽度の人たちは日本から教わった「さおり織」ですてきな織物を織っていたが、重症の子達はコミニュケーションをとることもできない。
 文洋さんが枯れ葉剤について「南より北に多く投下され30万人が被害を受けた。ダイオキシンは水に溶けず土の下に沈んでいる。初代は野菜家畜魚を体内に取り込んだ。空気を吸って、水を飲んでダイオキシンが体内に入った。母親の胎盤や母乳から子供に障害が出た。障害児は昔より今の方が増えている」と。
ベトナム全土で1億リットルも枯れ葉剤をまかれ、障害がますます強く出ているのに、アメリカは未だに因果関係を認めていないという。
 チェルノブイリ事故当時、幼かった人々が成長し、子供を産むとその子は大抵3つぐらい病気を抱えてる、甲状腺癌や白血病だけじゃなく、免疫力が落ち、目も耳も骨を内臓も弱くなってしまってる‥。講談「福島の祈り」のセリフが浮かんできた。
枯れ葉剤被害も放射能被害もおなじ、因果関係など被害者に証明できるはずがない‥。ベトナムは日本からの原発輸入をやめた、なんと聡明な判断かと改めて思った。
文洋さんは言う。
1945年、ホーチミン氏の独立にフランスは戦争を仕掛けるが、負けた。米も南に臨時政府をつくり勝てると思ったが、負けた。ナショナリズムが持てる戦争ではなかった。そして「軍事的な攻撃は失敗する」と。
 今、ベトナムには米軍は一人もいない。日本には未だに沖縄2万5千人いる。そして米軍基地のせいで沖縄の経済は破壊されていると。65年3月、沖縄からベトナムに海兵隊を送り始め、沖縄のことをベトナム人は「悪魔の島」と呼んだ。
だが今はだれも沖縄をそう呼ばない。
 その沖縄では今、県民の総意をことごとく無視して政府は新基地を建設しようと躍起になっている。基地とは攻撃するためのもの、そして攻撃の的となるものだ。
沖縄が再び他の国から「悪魔の島」と呼ばれてはならないし、二度と再び本土をまもる捨て石にしてはならない!ベトナムからは日本がよ〜く見えた!旅でした。
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