January 25, 2016

辺野古応援ツアー顛末記


昨年から辺野古応援に沖縄へ、と思いつつ飛行機代が高いので二の足を踏んでいて時期を伺っていた。そして、シーズンオフの1月中旬に思い切って実行に移そうと香織倶楽部に声をかけたらなんと総勢10人のツアーに。言い出しっぺの私の頼りない引率で辺野古応援ツアーはスタートしたのでありました。

19日の午後那覇に到着、明日早朝の座り込み参加のため名護のホテルへ。
翌20日は朝5時に起きてキャンプシュワブのゲート前へ。まだ薄暗い6時到着。夜明けとともに平和センターの山城博治さんのアジテーションがさらに盛り上がってくる。「機動隊が、500人くるなら我々は1000人集まろうぜ〜」!抗議行動の参加者は約420人と報告されました。7時17分、ゲート前集会が始まり、議員団の激励の挨拶、24日に迫った宜野湾市長選への思いが語られる。その後に私たちも紹介してもらう。オレンジ色の法被を着た福田さん野村さんはじめ10人がズラーと並び、私が代表してご挨拶。

「東京から来た機動隊員は豚一匹確保といってみなさんを排除していると知り、じっとしておられずやってきました。私は福島出身です。国民は法律で年間被曝量が1mSvと決められているのに、福島県人は20mSvのところに帰還させられようとしている。言ってみれば猿扱いです。猿県出身の私が豚となって排除されに来ました。沖縄、福島、私たちはともに国から捨てられた民同士。棄民同盟を組んで、猿と豚、仲良く明るく闘いましょう」と皆さんに福島の事、講談のさわり、木遣り崩しなど聴いてもらい盛り上がる。カメラマンの森住卓さんが近くにいたので「宜野湾市長選の応援に行きたいが」と相談したところ、これから選挙事務所に行くので連絡すると言ってもらい一安心。
その後、汀間漁港から平和丸に乗船。船長は相馬ゆりさん。数年前案内してくれた相馬さんと再会できて嬉しい。警備会社の社員が「きりしま」から法的根拠のないのに臨時制限区域から出ろとしきりに繰り返す。

ほどなくカヌー隊と合流。平和丸のマイクで「先週土曜日、抗議行動の際に頸椎骨折させられた仲間かいた」とカヌーの方が抗議を始める。近くにはボーリング調査の船。海上保安官のゴムボートが集まってくる。保安官たち、乱暴はどうか止めて下さい! と心からねがい、寒風を頬に受けながら引き返す。

昼食後は森住卓さんが連絡をとってくれていて、宜野湾市長選シムラ候補の応援へ。3時間半、香織倶楽部の仲間とともに街頭演説させて貰いました。途中、嘉数の高台公園で普天間基地を見る。オスプレイが飛び回り、基地には10機ぐらい配備してあった。まったく冗談じゃない。この選挙は日本の未来を左右する、福島県人は沖縄の不屈の闘いから多くのことを学ばねば。福島県人が自信と誇りを取り戻す為にも志村候補に勝利してほしいと心から願う。

21日、午前7時半にキャンプシュワブゲート前に到着。今朝は皆さんに「あいうえお、いうえおあ」と「口のストレッチ」を指導し、「滑舌よく思いを伝えましょう」と呼び掛けました 。8時頃から雨が降り出すもの「雨にも風にも寒波にも、機動隊にも負けないぞ」ついでに安倍にも負けないぞ!山城さんとパチリ。
そして高江へ向かう。伊佐さんから話を聞く。住宅地を囲んでヘリパッドが6つ。一旦基地を作ったら約束を反故にして住宅地の上も飛び回る。まさに標的の村だ!

高江から2時間かけて糸数アブチラガマに。270メートルもあるガマ、中は病棟や軍医室、手術室など。麻酔などない‥どのような修羅場だったろうか。置き去りにされた患者達、水滴の音を聞きながら黙祷。ガイドの知念さん「戦死者の無念を思うと、私たちはしたたかに生きる他ない」とキッパリ。
沖縄最後の夜は那覇の地料理の店へ。県民サラダ、ブダイの仲間イラブチャーの刺身、美味しかっです。私たちと別行動していてごぼう抜きにあった桜庭さんの報告をききながら、更に闘志を燃やす香織倶楽部の面々でした。
さて、
24日の宜野湾市長選は残念な結果に。新聞の出口調査によると有権者が最も重視したのは「普天間移設問題」で55%。「普天間飛行場の辺野古移設を推進する政府の姿勢」に対しては「支持しない」が54.9%。全ての年代で5割以上が「支持しない」と回答した。 安倍首相は辺野古移設は争点ではないと言っていたのに勝利を受けて県民が辺野古移設を望んでいると言い出した。またか〜。安倍さんは狼少年ならぬ、狼中年!?
沖縄の皆さんの闘いには独特の文化がある、闘いすんで夜がくれて、お酒をのんでカチャーシー。これですね、歌って踊ってリフレッシュして再起動!これを私たちは自分たちの闘いに福島の闘いにも取り入れたい。ますます「闘いは明るく楽しくしつこく」です。