February 11, 2015

川内村講談会、そして南相馬へ

8(日)「憲法を活かす福島県民の会」第11回総会とパネルディスカッションに参加後、明日の講談会のため川内村へ移動。宿泊先の小松屋さんで教育委員会の皆さんと会食。な、なんと川内村で昔から伝わる、自家製のどぶろくをご持参くださった!!その美味しさに舌鼓を打ちながら、震災からの御苦労話を伺った。昨年の10月に本格的な帰還がはじまった川内村、今は3、4割帰村したものの高齢者がほとんどだそうだ。仮設がある郡山より空間線量は低いものの買い物などの不便さに若い人たちはなかなか戻らないとのこと。福島はどこへいってもその地域ならではの問題、悩みがあるのです…。
9(月)雪が吹きかけてとても寒い。昼食におにぎりの差し入れをお願いしたら、美味しい白菜とたくあんの漬け物、それからネギの甘酢浸けまで持ってきてくださった。いや、お米も漬け物も美味しくて、やはりいいところと感心しながら会場へ。高齢の女性がほとんど!?ほぼ満席。大いに笑っていただき講談自体は30分だけどなんと1時間半もしゃべくりまくり(笑)ばく原人村のマサイさんも来てくれました!

夜は朝日新聞南相馬支局の本田雅和さん宅へ泊めてもらう。お連れ合いさんが毎月二本松の仮設に慰問に行ってるそうだ。なんと、童話しりとりや外郎売りも出来る。聞けば北海道の支局にいたときに田辺鶴英さんと知り合って教わったとかで、食事中外郎売りを披露してくれ感激。本田さんは深夜まで、そして早朝から原稿書き、最前線で連日取材と発信、頭が下がります。
10(火)本来なら詩人の若松丈太郎さんにお目にかかる予定だったが、急遽上京された為、埼玉で避難生活中の青田さんご夫妻のお宅へ。月に一度ぐらいはお掃除に家に帰ると言う青田さんご夫妻。小高区のお宅は朝日新聞支局から車で15分ぐらいで到着。早速、村上海岸の一本松、希望の牧場、帰還困難区域の家などを案内してもらう。途中、「除染中」と書いたピンクの旗が至る所に翻っていた。屋根を雑巾で拭いている…、気の遠くなる作業だ。昔お蚕を飼っていたお屋敷は、大黒柱が数本家を支え、中廊下の両脇には10畳ぐらいの大広間が10部屋ぐらいある。何代も続いた旧家、遺影の数々…。そして玄関の入り口には孫達の名前を大書きした紙が貼ってある。平和に穏やかに暮らしてきたこの梨農家、家の中でも0、6ぐらいある。ご主人は除染作業員として働く日々…。希望の牧場、吉沢さんは不在だったが、寒風の中、牛達が黙々と草を食み、静かに歩いている。のどかな景色が広がる空間線量はあきらかに高い。

帰りの車中で青田さんが「この家が知り合いの家で今はどこに避難しているか」という。なんと洗濯物が干してあり車もある。急遽、訪問するとご夫妻が暮れから戻って暮らしているというではないですか。「郵便物は届かないが自宅が一番」「3年目ぐらいから何もやる気がしない、今も昼寝していた」と呟くご主人。あれから4年、このご主人のように疲れ果て、気力が沸かなくなった方々が増えているのでしょうね。それにしても、六号国道、「夫沢」あたりは7.0ぐらいある。その道々、警備員が無防備に立っているのにはびっくる。防護服を着て欲しいし、第一、そんなところで警備させないでと願いながら川内村、そして南相馬からの帰路についた。