December 28, 2015

今年も香方見聞録、お付き合い感謝です。



28(月)講談協会締めの行事、薬研堀不動院での「張り扇供養」。皆で宝井馬琴先生のご逝去を悼みつつ、一年間叩かれ、お務めを果たした張り扇をお焚きあげし芸道上達を願い供養。読経を聞きながら今年亡くなった人たちを思う。大好きだった父、優しかった義母、楽屋で挨拶する程度だったが尊敬していた国本武春さん。イブに55歳の若さで‥。野坂昭如さん、野坂塾になんども通ったものだ。「2度と飢えたこどもは見たくない」野坂さん、戦争でもないのに6人に一人の子が飢える世に中になっちゃいました。そして戦争の足音も。でもだからこそ、今年はめいっぱい戦争に対して想像力を働かせた大勢の若者がいたと信じます。さあ、原発事故から5年目、チェルノブイリ事故から30年の節目の年、ノーベル文学賞受賞を追い風にして、来年も「力声」で踏ん張ってまいります。一年間、「香方見聞録」にお付き合いくださりありがとうございました!
7月から家族の仲間入りしたリリー、こんな心境の私です。

27(日)大掃除日和の日曜日、窓ガラスを磨いてからいざ2件の忘年会へ。
1件目はゴールデン街の「O2」、同郷、磐城高校卒のイサジさん、本業はイラストレーターながら311があって趣味だった歌を本格的始める。今年はCDも制作、12月には故郷でもライブを実施して同級生などが大勢来たそうだ。いわきの景色が目に浮かぶよう歌詞と気負わない、自然体の歌、癒される歌でした。
2件目は赤坂での恒例の安田弁護士の事務所。もう立錐の隙もないほどの混雑ぶり。錚々たる皆さんが次々と。来年も「呆れ果てても諦めず」で参りましょう〜!

26(土)農地の一部を借りて野菜作りに励む井上啓さんのお誘いで茨城町のアクト農場でお餅つきに参加。天気もよく、自分たちでついたお餅をその場でいただき、楽しい一日でした。

25(金)「母と暮らせば」を観た。泣いた泣いた。「これが僕の運命だったのかな」という息子に「災害で亡くなるなら運命かもしれないけど、原子爆弾は人間が考えたことだもの運命なんかじゃない」と母。古今東西、古来より支配者が仕掛けた「戦争でどれだけの数の「母」たちが泣いたことか。戦後70年の最後をかざるにふさわしい映画、小百合さんも二宮くんも適役、とてもよかった。

24(木)高浜原発3、4号機の再稼働をめぐり、福井地裁の林潤裁判長は24日、「安全性に欠けるとはいえない」と判断し、再稼働を即時差し止めた4月の仮処分決定を取り消した。これがこの国からの国民へのクリスマスプレゼントだった。5日の福井集会を思いだす。みなさん悔しい思いをしていることだろう、でも、諦めない。来年こそ!


December 22, 2015

大隈講堂、徳島阿南市へ

20(日)阿南市人権フェスティバルの講師で呼んでもらいました。6月には福島のこども保養チャリティー公演を徳島市内で取り組んでもらっているので今年2度目の徳島入りです。迎えに来てくれたのは徳島のマネージャー?こと新社会党の高開千代子さん。
しばらく走ると、雲の切れ目からオーロラのような光の帯が降り注いでいるではありませんか!楽天家?のふたり「私たちの行く手は光に満ちている〜」と大はしゃぎ(笑)阿南市到着後はすっかりおなじみとなった皆さんと楽しい会食。
当日は天気も良く風もおさまり、会場の文化会館には大勢の方が来てくれて、こどもたちの人権標語や作文、絵画や手作りの展示物に見入っていました。
講演前に岩浅市長さんとご挨拶。なんと誕生日が12月3日で私が1日お姉さんなんですって、よく調べてますね(笑)大工さんに頼んで作ってもらったという立派な釈台の前で1時間半、はじめに震災の翌年から郡山のこどもたちの保養事業に取り組んでくれている徳島の皆様に心からお礼を。
そして 数日前、南相馬の國分富夫さんのメールで知った、いわき市で新築の家の塀に「原発賠償御殿!仲良くしない」とスプレー缶のペンキで書き殴られた話をし 、この国で一番差別を受けているのは福島県人、なのに県民の中でも差別が広がっていると。
その後は 戦争は最大の人権侵害だと「はだしのゲン」の一部を聞いていただく。また、ノーベル文学賞作品「チェルノブイリの祈り」の一部を紹介し「福島の祈り」に込めた思いを聞いていただきました。嬉しいことに実行委員会で今後の支援活動に役立ててほしいと募金箱を設置してくださり、なんと10948円もの浄財をいただきました。
NPOふくしま支援・人と文化ネットワークを通じて有意義に活用させていただきます。ありがとうございました!!
帰りの飛行機からは黄金色に輝く雲の上に富士山がクッキリと。
行きも帰りも光にみちた徳島への旅、きっと来年はいい年になりそうな予感!?
写真は実行委員長の堀崎さん、私、高開さん、歯朶山さん。


17(木)17日大隈講堂で開催の「立憲主義・民主主義と平和を考える早稲田大学の集い」に呼んでもらう。講堂に着くともう長い列が!とても厳かな雰囲気の舞台や控え室に気分も高揚。私は第2部でタイトルは「はだしのゲンは安保法案を許さない」「はだしのゲン」の一節を。大隈講堂に原爆投下音が響き渡りました。どうか想像してほしい、キノコ雲の下の現実を!その後「出陣学徒壮行会」で演奏された「分列行進曲」を鎮魂曲にリメールした徳山美奈子さんが登場。聴きたかったがきょうは今年最後の講談サロンの日、皆さんが待っていると大急ぎで本郷へ。到着したら、なんともう忘年会に突入していて大笑い、でした。


16(水)上野広小路亭の5階教室を借りて講談の個人レッスン、一龍斎貞橘さんに「御嶽如来」を指導。以前は他の流派の先生方に教えていただくにはそれほど多くはなかったが、数年前から「伝承」を目的に文化財保存事業として文化庁が予算を出してくれているのです。素晴らしい。東西の若手、中堅講談師と講談師を結び、数回の稽古をへて3月に発表。貞橘さんは女性が主役の講談は初めてとか、頑張って下さい。
その後は平和フォーラムさん主催の忘年会へ。安保法案で明け暮れた今年、あちこちで声をあげまくった鎌田さん、佐高さん、雨宮さん、香山リカさん、そして私も。美味しい中華、ごちそうさまでした。来年もがんばりましょう〜。


December 15, 2015

「あれからのラーッキーランド」「放射線を浴びたX年後」そして矢吹町

12(土)矢吹町で開催の福島県矢吹町文化センターに到着。「人権のつどい2015矢吹」一部は中学生の人権作文コンテスト入賞者の授賞式。講演でははじめに私も中学時代いじめを受けていたらしい?の話。どっと笑ってもらい気楽に話し始めることができた。「チェルノブイリの祈り」抜き読みから原発事故の話に入る。故郷で故郷の皆さんの前で故郷の惨禍を語る。こみ上げるものがあった。私にもお客さんたちにも。サイン会では郡山の高校教師の妻が「夫は甲状腺癌の手術を受けた」と。子どもばかりではない、大人まで!県民の皆さん、人権意識を高めて原発事故の責任をキチンととってもらいましょう。


11(金)続編の「放射能を浴びた」を観た。川口美砂さん59歳は小学6年の時にマグロ船の船長だった父36歳が亡くなる。酒の飲み過ぎといわれ傷つきながらも、妹と母と3人で懸命に生きてきた。「X年後」をみた川口さん、父親の死も放射線被曝が原因だったのではと取材を始めた、それが「X年後2」。汚染マグロは次々と廃棄処分される。検査を始めてから9ヶ月後、突然検査はストップし、翌日から食卓にマグロがではじめる。
船員たちはマグロが売れなくなるからと体調の悪化を隠すようになっていた。そして待っていたのは病いであり、若すぎる死。
「ニュークリア・サベージ」「X年後1、2」すべてが福島に重なりため息しか出てこない。しかし絶望はしない。こうした事実を知った私たちはここからがスタートラインだと気づくことができたのだから。
写真は終了後サプライズでご挨拶の川口さん。

10(木)は東中野のポレポレで前から観たかった「放射能を浴びたX年後」。ビキニの水爆実験は105回も行われ、第五福竜丸だけではない、同時に出漁していた何百人もの船員たちが晩発性で数十年後にかけて亡くなっている、その上、日本全土がなんども放射能汚染されていたという事実。ひとりの高校教師が記録した映画。よくず明らかにしてくれたと心から感謝だ。

9(水)早稲田のスペース早稲田で流山児祥演出「あれからのラッキーアイランド」郡山公演終え東京公演初日、90席ぐらいでしたが満席。70年後のフクシマは地図から消され県境は壁で覆われ福島由来の人々には断種法のカードが!笑いながらもグッとくるのは福島出身だからか?面白い芝居でした。


December 08, 2015

福井、そして千葉へ

12月8(火)千葉市文化ホールで開催の千葉県生協連集会「子どもたちに平和な未来を」で講演。以前になのはな生協さんにも呼んでもらったことがある。私のあとにニューヨークで核兵器の廃絶を訴えてきたNPT再検討会議、 被曝の語り部でもある児玉三智子さん(77歳)からの報告会。辛い体験をゆっくりと力強く語られ、「生きている間に白兵器の廃絶を」願う気持ちにあふれていました。ニューヨークでは他国の方から「核廃絶を願うなら、なぜ、日本は核の傘から出ないのだ」と言われたとか。そう、そこから始めなけらばならない。被爆国として今からでもアメリカに抗議し謝罪してもらわねば。ふ〜、先はとてつもなく長いのです。

12月5(土)日比谷野音で大集会とデモに重なって、私の方は氷雨が降り続く福井へ。「高浜原発3.4号機再稼働本気で止める全国集会」司会と一言挨拶。この頃は雨も上がり時々日が差していました。でもすごく寒かった!そんな中、1200人もの皆さんが参加!中嶌晢演さんや武藤るい子さんも登壇。集会後のデモの途中で「原発推進」を訴える右翼の皆さんに遭遇。事故が生きたら美味しい鰤も食べられなくなるのに、そこまで考えているのでしょうかね〜〜(笑)


12月4(金)齢を一つ重ねる日。偶然にも 友人から歌舞伎座の招待券をいただき、新装なってからはじめての歌舞伎座へ。
七之助や玉三郎の美しさにうっとり、いい誕生日となりました。友人に感謝です!


December 01, 2015

すごいドキュメント映画と香織倶楽部発表会


11月29(日)
講談サロン上野広小路亭での10回目の発表会。
稽古期間中はハラハラしまものの、一人一人の最後の追い込み稽古?と一昨日の羽生結弦選手の300点越えが刺激になったようで、みなさんがそれまでの自分の限界を超える出来だったと思います。
写真からも余裕と自信のほどが伝わってきます。いい表情ですね〜。
思えば香織倶楽部を始めて7年目、私は311からはとても慌ただしくなり
それまでサロンの皆さんと楽しんでいた川越や浅草の歴史散策などとも遠ざかり、テキストの作成にも時間がかかったりと申し訳なく、いっときは倶楽部を休部することも考えましたが、続けていてほんとによかったとしみじみ思いました。
これからも楽しくお付き合いください。


11月27(金)
ドキュメンタリー映画「ニュークリア・サベージー米粉極秘プロジェクト4.1の島々」を観た。
1940~50年代アメリカによるビキニ環礁での水爆実験と合わせて極秘にすすめられた、マーシャル諸島島民への「死の灰」被曝人体実験を追いかけた貴重なドキュメント映画です。3年後に死の灰が4センチ積もったままの島に帰還させられた島民たちのその後。死産、流産、奇形の子どもたち、白血病で亡くなる少年たち、「野蛮人だけど猿よりはわれわれに近い」と治療は一切しないで、放射能の影響を観察したのです!
自然を畏怖しながら信仰深く生活していた島民に対してなんという言い種でしょうか。「彼らの方がお前たちよりもずっと崇高に生きている!と怒りがこみ上げました。過去の他国のことではない。帰還を迫られている福島の人々も同じではないか!この映画を大勢の国民に観てもらいたいと切に願います。