August 29, 2015

台風で順延、そして「日本が壊滅する日」自然は怖い

28(金)
八重洲ブックセンターで開催された「東京が壊滅する日発売記念広瀬隆講演会」に参加。一時間と言う短い時間ながら、中身の濃い広瀬さんならではの話、ぐっと報道が減った原発事故、今さらながら恐怖が迫ってくる。
確実に忍び寄っている事故の影響、そして川内原発再稼働による新たな原発事故の予測。4年も止めていた川内原発は安全な状態だったが再稼働でもっとも危険な原発になった。まず何千、何万という部品と危機を組み合わせた装置が原発で、4年も止まっていたから塩分、硫黄などによる腐食が進んでいる。トラブルは高温高圧で運転して初めて分かる。11日に再稼働し9日後にはトラブルが発生した、まさにこのことをいうのでしょうね。
そして噴火だ。
桜島は2009年から噴火が止まらない。1914年に大噴火し、それから100年。100年目が怖いと言う。灰が送電線に積もり、非常用ディーゼル発電フィルターに灰が詰まって発電不能になる。
次に地震。
中央構造線の上に位置する野川内原発を最初に再稼働するとは!そして次の再稼働の予定はこれも中央構造線の上になる伊方原発だ。
今、地震がない。ないときの方がエネルギーがたまっているから怖い。
そして川内原発は三菱重工蒸気発生型原発。実は同じものが2012年のサンオノフレ原発で使用されていて事故が起こり、アメリカのNPCが兵庫県高砂工場に立ち入り検査、結果信用できたいと廃炉にした。これはほとんど報じられていない…。ぜひ本を読んで欲しい、この本は必読書です。
8月26(水)
台風直撃で九州や山口宇部空港への飛行機が欠航と分かり、24日のうちに山口県入りし湯田温泉に宿泊。25日の山口こどもステーション主催の「はだしのゲン」公演は順延となった。一日空いたとはいえ、観光など出来るはずもなく暴風雨のすごさを宿の中から眺めるのみ…。夕方小振りになった時ホテルの側を歩いたら、プレハブは傾いているは、バイクは倒れてミラーが割れいるはで、自然の力はやはり侮れないとしみじみ。
きょう26日はたまたま私も会場も空いていて一日ずらす事が出来ました。お客様もほぼ満席。公演後のアフタートークは4年前の「フラガール物語」の時と違って客席からの発言はなし。そりゃそうです、あの講談を聞いた後はもう茫然自失(笑)結局、福島の事や戦争法案の事、最後はみなさんと声を出して終了。30年以上仕事して来て初めて順延となった記念すべき公演は3日滞在、一回公演という記録も残し無事終了、子どもステーションの皆様、お疲れさまでした!

August 24, 2015

富山から日本橋亭へ

8月21(金)北陸新幹線に初乗車、なんと大宮から2時間で富山駅到着。これだと日帰りで充分に間にあってしまうと寂しく思った。何と言っても富山はお魚が美味しいのだからそれを味わわなくちゃ(笑)
「第6回北陸ブロック母と女性教職員の会」の記念講演で呼んでいただき午後2時半から約2時間、たっぷりお話と質疑応答。「ゲン」や「チェルノブイリ」の抜き読みの時は涙を拭っている方が何名も。終了後の懇親会にも参加させてもらい、各県からのアピールには大笑い。流石、ほとんどが現職の教職員の皆様、クイズあり、踊りありですっかり北陸4県に詳しくなりました。懇親会後は友人の村田さんのお店「真酒亭」へ。白エビなど美味しい魚とお酒で富山を満喫した一日でした。


22(土)朝早く北陸新幹線で移動して午前中には東京着。日本橋亭へ直行。きょうは土曜特選講談会「女講釈師平和を語る」。昨年私が「はだしのゲン」でトリをとらせてもらったシリーズ。今年のトリは春水さんの「蛍の墓」、さすがに元声優さんだけありこどもの声は抜群で悲しみが迫ってきました。他には宝井琴嶺さんの「亀戸事件」そして私が「福島の祈り」、どの作品も楽しいものではないですが、それは覚悟の上のお客樣方、お運びありがとうござい〜。講談サロンのメンバーと打ち上げで盛り上がり、ちょっとハードな2日間無事終了!

August 17, 2015

父の新盆

8月13〜15日
新盆初日。大勢の方がお焼香に来てくれました!なんと180人も。私たちは慣れない対応に大わらわ。お辞儀をし、お茶を出し、お礼の品を作ってお渡しし、またお辞儀をしてお見送りの繰り返し、腰痛持ちの私と下の弟にとっては試練の一日?こういうとき、若い子ども達が働いてくれて大助かりの一日でした。
そして2日目、じゃんがら念仏踊りで父を弔う日、雨が予想されていてた曇天の中、若い連のみなさんが気持ちをこめて踊ってくれた。祖父の新盆から30年、じゃんがら踊りの後はスイカを振る舞う習わしを母が教えてくれ、早速スイカを振る舞うと「美味しい、今、出してくれる家が少なくなって」と喜んでくれた。
3日目の15日はほとんど来客もなく、皆でゆっくりと父の思い出話。きょう雨が降らなかったのも父の計らいか!?と…。
11日には福島県民を裏切る川内原発の再稼働。そして14日には桜島の噴火レベルが4になり、住民が避難を余儀なくされた。どう考えたって再稼働は無謀すぎる。生前、父とはよく政治談義を肴にお酒を酌み交わしたものだった。今、実家には私と政治談義する人はいない。安保法案、原発再稼働、言葉だけ羅列し心ここにあらずだった安倍首相の70年談話、父がいてくれたら、きっと朝まで飲み明かしたかも…。あわただしい今年の夏、父を思い、しばし故郷に憩った3日間でした。



August 10, 2015

「福島の祈り」は長崎から鎌倉へ

8日
昨夜は羽田空港から川崎へ移動し一泊。鎌倉まで重たいキャリーバックを転がしながら電車移動。鎌倉は大勢の観光客で賑わっていた。駅の前で警備員か警察官が拡声器で「海岸へのアルコールの持ち込みは禁止です」と繰り返す。ビール片手にサザンを聞きながら甲羅干し、が当たり前だったのに…ま、都会の海ならではの現実!?
会場の雪ノ下教会の聖堂、とても広くて神々しい、暑い中150人もの方が来てくれ話を聞いてくれました。ホールでは豊田直己さんの写真展「ヒロシマからフクシマへ」も同時開催、イラク戦争、チェルノブイリ、ヒロシマ、フクシマと、核や戦争の無惨さを考えるイベントとなりました。猛暑の3日間旅公演、無事終了、各地でお世話になった皆様、ありがとうございました!

7日
全国から2000人もの皆さんが集結したブリックホールでの原水禁長崎大会。主催者の挨拶も違憲の戦争法案への怒りに満ちていて力強く、海外からのゲストも多数参加、平和大使の高校生達のメッセージも心を打つ。8日は神奈川で仕事の為、終了後急ぎ空港へ。今度は余裕のあるスケジュールで軍艦島まで足を伸ばしたいものです。それにしても昨日広島で「非核3原則」について安倍さんは語らなかった、前日には中谷防衛庁長官が国会で「核兵器の輸送もある」と。安保法案、もう話になりません!

6日
戦後70年という節目の年なのに、今年の原爆忌はとてつもなくきな臭いものとなってしまった。でも、絶対に戦争法案はつぶしますから!と決意新たに長崎へ。全国中が猛暑、長崎も暑い!6日はピースウィークで「福島の祈り」を一席。7日の原水禁長崎大会ではやはり福島の祈りを約20分で語る。原爆そして原発事故、二度と核の悲劇は繰り返さない、という主催者の強い意志を感じる。
女性達が中心のピースウィークの皆さん、打ち上げではすっかり打ち解けて前からの友達のよう!私と同年の方もいて、安倍首相の話題で言いたい放題(笑)美味しいお魚料理で盛り上がった懇談会、ごちそうさまでした。

August 03, 2015

獏原人村から栃木市へ

8月2日
福正寺住職の松濤さんは長崎の出身でお母さんから原爆投下時の悲惨さを聞かされて育ったと言う。当時17才だったお母さんが工場で勤労奉仕中に原爆投下、200人が犠牲になり奇跡的に助かった3人に内のお一人。戦後なくなった友人宅へのお参りを始めたと言う、幼い松濤さんの手をひいて…。今年3回目の「原爆展」を市内で開催するきっかけは、入院中に遭遇した3,11。母の口癖は「後始末できないものはつくるな」。母から語り継がれたことを形にしなければ。そんな想いから原爆展を始められた。講談はだしのゲンの前には吉澤浩子さんの朗読で「第二楽章長崎から」、会場は300人も入り大成功。きっと今はなきお母様も喜んでいる事でしょう!

8月1日
川内村の獏原人村の満月祭にはじめて参加した。県道から脇道へ入り10分ぐらいだが、進むに連れて道路が悪くなり、車の底をすりながら到着。遠くに山々、回りは雑木林、自然に囲まれた中に、母屋、別棟、ドーム、常設のステージ。母屋の下には大塚愛さん一家が住んでいた家。ここに宿泊させてもらったが、絵本などがそのまま残っており、愛さん一家の息づかいが聞こえてくるようだった。自分で家を建て、自家発電、自給自足で子どもを育てていたのに、原発事故がその暮らしを奪ったのだった…。なのに誰も責任を取らないなんて!その怒りの声に答えるように、市民らによる検察審査会が結果をだしてくれた。7月31日に東電、勝俣氏らの責任を問う検察審査会が再び起訴の議決を出したのです。今回は2度目だから強制起訴となり、やっと原発事故の責任を問う事が出来る!
猛暑の中、午後1時半から一時間の講演、冒頭でこの話をしたら皆さん拍手で応えてくれた。私の後に出演の武藤類子さんの報告を聞きながら、でこぼこ道を一路栃木市へ。