February 22, 2015

告訴団はあきらめない。若松こはるさんマイクをにぎる

15(日)郡山ビッグパレットで開催された「あきれ果ててもあきらめない。検察に良心はないのか!告訴団福島県集会」に参加。武藤類子さんから「あきれ果ててもあきらめない」を使っていい?と電話いただき今回のタイトルとなった、責任重大とばかり、駆けつけました。200人の会場はほぼ満席。岩波新書『原発と大津波 警告を葬った人々』の著者で元国会事故調協力調査員である添田孝史さんの講演を聞く。電事連は1997年に原発を襲う津波地震の可能性を知ったが旧建設省に圧力。電力会社お抱えの土木学会と中央防災会議で握りつぶしたと指摘。女川と東海第二で取った津波対策を東電はしなかったなどなど、東電の初歩的な油断、過信、ミス、怠慢が次々と出てきて、検察が起訴できない訳を探すのは不可能と思われるぐらい!ぜひ、告訴人に加わって欲しいです。詳細は告訴団のHPを。


21(土)本郷文化フォーラムで木田節子さんと木田さんの娘さん、若松こはるさんの「いまは福島のこと、いつかはあなたの町のこと」に参加。こはるさんから木田節子さんにマイクが渡りと木田節絶好調。元バスガイドだから8時間ぐらい続けられると(笑)こはるさん「母は私の話を聞かない人だったが、原発の発言するようになって
から私の話も聞くようになった。それだけはよかった」 こはるさんご自身も友人たちも一昨年「稽留流産」と診断され中絶に至った。なんと献体のため胎児の細胞をを福島医大に。福島の若い母親たちがこんなに傷ついている…。こはるさん、勇気ある発言ありがとうございました。


February 11, 2015

川内村講談会、そして南相馬へ

8(日)「憲法を活かす福島県民の会」第11回総会とパネルディスカッションに参加後、明日の講談会のため川内村へ移動。宿泊先の小松屋さんで教育委員会の皆さんと会食。な、なんと川内村で昔から伝わる、自家製のどぶろくをご持参くださった!!その美味しさに舌鼓を打ちながら、震災からの御苦労話を伺った。昨年の10月に本格的な帰還がはじまった川内村、今は3、4割帰村したものの高齢者がほとんどだそうだ。仮設がある郡山より空間線量は低いものの買い物などの不便さに若い人たちはなかなか戻らないとのこと。福島はどこへいってもその地域ならではの問題、悩みがあるのです…。
9(月)雪が吹きかけてとても寒い。昼食におにぎりの差し入れをお願いしたら、美味しい白菜とたくあんの漬け物、それからネギの甘酢浸けまで持ってきてくださった。いや、お米も漬け物も美味しくて、やはりいいところと感心しながら会場へ。高齢の女性がほとんど!?ほぼ満席。大いに笑っていただき講談自体は30分だけどなんと1時間半もしゃべくりまくり(笑)ばく原人村のマサイさんも来てくれました!

夜は朝日新聞南相馬支局の本田雅和さん宅へ泊めてもらう。お連れ合いさんが毎月二本松の仮設に慰問に行ってるそうだ。なんと、童話しりとりや外郎売りも出来る。聞けば北海道の支局にいたときに田辺鶴英さんと知り合って教わったとかで、食事中外郎売りを披露してくれ感激。本田さんは深夜まで、そして早朝から原稿書き、最前線で連日取材と発信、頭が下がります。
10(火)本来なら詩人の若松丈太郎さんにお目にかかる予定だったが、急遽上京された為、埼玉で避難生活中の青田さんご夫妻のお宅へ。月に一度ぐらいはお掃除に家に帰ると言う青田さんご夫妻。小高区のお宅は朝日新聞支局から車で15分ぐらいで到着。早速、村上海岸の一本松、希望の牧場、帰還困難区域の家などを案内してもらう。途中、「除染中」と書いたピンクの旗が至る所に翻っていた。屋根を雑巾で拭いている…、気の遠くなる作業だ。昔お蚕を飼っていたお屋敷は、大黒柱が数本家を支え、中廊下の両脇には10畳ぐらいの大広間が10部屋ぐらいある。何代も続いた旧家、遺影の数々…。そして玄関の入り口には孫達の名前を大書きした紙が貼ってある。平和に穏やかに暮らしてきたこの梨農家、家の中でも0、6ぐらいある。ご主人は除染作業員として働く日々…。希望の牧場、吉沢さんは不在だったが、寒風の中、牛達が黙々と草を食み、静かに歩いている。のどかな景色が広がる空間線量はあきらかに高い。

帰りの車中で青田さんが「この家が知り合いの家で今はどこに避難しているか」という。なんと洗濯物が干してあり車もある。急遽、訪問するとご夫妻が暮れから戻って暮らしているというではないですか。「郵便物は届かないが自宅が一番」「3年目ぐらいから何もやる気がしない、今も昼寝していた」と呟くご主人。あれから4年、このご主人のように疲れ果て、気力が沸かなくなった方々が増えているのでしょうね。それにしても、六号国道、「夫沢」あたりは7.0ぐらいある。その道々、警備員が無防備に立っているのにはびっくる。防護服を着て欲しいし、第一、そんなところで警備させないでと願いながら川内村、そして南相馬からの帰路についた。



February 08, 2015

出版後援会、コープみらい、テント集会で

6(金)日本共産党出版後援会新春の集いに講師として呼んでもらう。シビックスカイホールでは3年前に続いて2度目、その前にも一度、で計3回も声をかけてもらって感謝。私の前には春の統一地方選の候補者達がご挨拶。安倍政権の暴走に歯止めを抱えるためにもぜひ頑張ってください。
7(土)コープみらい、北区、足立区の会員さん達対象の「はだしのゲン」公演。申し込み多数で抽選になったとのこと。おりしも今回の人質事件を利用?して邦人救出のため自衛隊の派遣を、などの動きも出てとんでもなくきな臭くなった今日、危機感を持つ人がいかに多いかということのあらわれ。とにかく、「はだしのゲン」で戦争を追体験して欲しい、と願いつつ、秋葉原から教育会館に移動。コープみらいのスタッフの皆さん、ありがとうございました!!

夕方からは「テント撤去,原発再稼働を許さない!」集会で司会を担当。小雨のなか、ほぼ満席。福島からの避難者初め大勢の人々が集い語らうテントが撤去の危機に!渕上太郎さん、鎌田慧さんはじめ大阪の小児科,高松勇さん、などなど大勢の皆さんが発言。高松さん「福島県の小児甲状腺ガンの異常発生は様々な健康障害の現れだとはっきり言ってくれる。嗚呼、こういう方が本当の医者です(泣)私と一緒にピースしているのが高松さんです。


February 02, 2015

「いわき発安寿と逗子王」「何を恐れる」そして名古屋へ

29(木)広小路亭昼席、珍しく女性ばかりの出演で「いわき発安寿と逗子王物語」でトリをとらせてもらう。埼玉で避難生活をしている青田さんご夫妻も来てくれた。盧佳世さんも。終了後は皆さんで打ち上げ。

31(土)ドキュメント映画「何を恐れる」を観た。池田恵理子さん、井上輝子さん、上野千鶴子さん、加納実紀代さん、駒尺喜美さん、桜井陽子さん、高里鈴代さん、滝石典子さん、中西豊子さん、田中喜美子さん、田中美津さん、樋口恵子さん、米津知子さん。半世紀前の彼女達のがんばりが今の女性の立場を築いてくれたのだ。今も男社会だが、当時はそれが当たり前。あの頃のセクハラ、パワハラは半端じゃなかった(笑)懐かしい方と映像で再会、高橋ますみさん、私が講談を始めたころお目にかかった。とても元気で聡明ですごいおばちゃん(笑)「女40歳からの出発」という本をプレゼントしてくれた。今は認知症で友人達と談笑しているシーン。認知症になっても明るく冗談を言って周りを楽しませている。随所に出てくる松井やよりさんのオピソード。彼女の思想、行動は間違いなく息づいている。
午後からは明日の仕事の前乗りで名古屋へ移動。
2月1(日)
早朝、後藤健二さんが殺害されたニュース。衝撃で言葉もない…。なぜ後藤さんまで!?安倍さんは二人が捕われているのを知っていて、中東へ行き、2億ドルの援助を発表、しかもイスラエルと日の丸の旗の間で「テロには屈しない」これ、ISISを挑発しているとしか考えられない、しかも26社の武器製作予定会社を引き連れての中東訪問。日本は軍需産業で生き延びる国になってはだめ!戦後70年、とんでもないまがり角にさしかかってしまった。そんな今日、名北福祉会公開講座、昨年は講演、今回は「はだしのゲン」で呼んでもらいました。
会場の名古屋市北文化小劇場は客席が300ぐらいなのに花道がある、花道から登場させてもらました。後藤さん殺害から入った前説に続き、「はだしのゲン」を語らせてもらった。お土産に頂いた作業所の皆さんの手作りクッキーはまがい物なしでとにかく美味しい。福祉予算が削られ防衛費が増え続けるこの国のリーダー達にこのクッキーを味わってもらいたい、そして海外に武器を売ったり、戦闘機を買うのではなく、国民の生活を守るのが政治の仕事だと気がついて欲しい…。