May 07, 2014

水俣病記念講演会の報告

6(火)第14回水俣病記念講演会を聞きに朝日ホールへ。記念講演会が始まったばかりの頃、2、3回参加した。原発事件があった後ミナマタはふたたび注目されている。フクシマとミナマタの共通点のなんと多いことか。
まずは普段は漁師をしている杉山肇さん(53)。ミナマタの語り部で2008年に亡くなった栄子さんの息子さんだ。公式認定の前、昭和29年前に漁村の猫が全滅。最初は伝染病と恐れられ差別を受ける。祖母は早くに発症し入院。小2の時に網元として尊敬を集めていた祖父も発症し2週間後に亡くなった。肇さんはこの祖父から愛情豊かに注がれて育った。小6の時両親が一緒に入院、だれにも相談できず、弟4人と生活。とても辛かったという。小さい弟たちがサロンパスを握って寝ている。痛みを少しでも忘れるため母が常用しているサロンパス。サロンパスが母の匂いだったのだ(涙)。
熊本では小5いなると水俣資料館で水俣病を学ぶことになっていてそこで講師もしているという。明るくてさわやかな方で、実の弟さんたちと「やうちブラザーズ」というお笑い系グループで活動していて、講演会の最後に登場、滑稽なメイク、体育会系で歌やコント、とても面白かった。やうちというのは家のなか、という意味だそうな。

 2番目の登壇者は中島岳志氏。3.11からミナマタに関心を持つ、3.11から水俣が重要になった。震災当時キューバにいて人が次々と波にのまれる映像をハバナのテレビでみた。10日後に帰国、日本のテレビには違和感を感じ「がんばれ」という事がに違うと思った。呆然としている被災者に「がんばれ」は早すぎると。共同通信社に論説を書いていたので被災地の人も読む、と「死者」について書いた。自身、友人が亡くなって2、3ヶ月後、完全でない原稿メールを送ろうとした時、なくなった友人のまなざしを感じ「あれ」と思った。2、3時間かけて書き直して原稿のメールを送った。死んだ人と出会い直したと思った。生者対生者、生者対死者の関係は違う。死者とともに一緒に生きてゆくことが大事ではないか。
浅田真央が不調だった数年前、母が亡くなった。一ヶ月後大会で優勝した。インタビュアーが「天国のお母さんにこの喜びをどう伝えますか」といわれ真央はこう答えた。「お母さんはいつも私のそばにいてくれるので、わざわざ言葉にしたくてもいいと思います」
中島さんは石牟礼さんを読み直した。石牟礼さんは水俣にぶつかり、足尾事件を学び直す。そして足尾で死んだ人と会話した(苦海浄土」)
石牟礼さんは亡くなった人と対話をして、それを通じて未来の中島さんと対話したのだ。
 中島さんはインドの政治が専門。1947年インド独立の前の年、イスラムとヒンドウーの争いが激化していてベンガルで内戦となったとき、ガンディーは争いが続く限り断食すると断食に入った。息子を3人ヒンディー教徒に殺された父親がどうしても許せないと話した。ガンディーは敵の子を3人ヒンディー教として育てろ。大人になった後許すことが出来るでしょうと。
相手の内面から沸き上がったときに変わる。ガンディーの「内発性の喚起」。
杉本肇さんの母、栄子さんの赦し、石牟さんの祈り「絶対的な加害者からの祈り」。中島さんは福島の未来は水俣の沢山の死者達との対話から始まると締めくくった。
おもえば私は広島長崎の死者達との対話からはじまりチェルノブイリの死者との対話を、そして今、福島の死者達と対話を講談にしているのだ…。

次に熊本大の名誉教授で資料館の名誉館長の丸山定巳さん。
1968年、新潟水俣病で昭和電業が原因とされ、それを受けてチッソが原因とあきらかにされた。そして1969年に裁判を起こす。新潟水俣病が発生しなかったらおそらくそのまま認定もされず闇に葬られただろうと開口一番。
水俣病以前、第一次大戦で外国から化学肥料が止まり、チッソが拡大。排水が増えて漁場が破壊され、大正15年には見舞金を払ってる。つまり昔から被害は続いていたのに、水俣全体として受け入れず、漁民のみが悲惨な目にあった。チッソ城下町の地域社会が動かなかった。
海だけでなく、畑や山も汚染しても地域社会は水俣病を抑圧し、被害拡大に協力した。議員達が「全国の世論を敵にまわしても我々はチッソを守る」と。
(なんということでしょうか。福島とまるっきり一緒ではないか!!)

最後に上野千鶴子さん。
まず「放射能汚染が未来世代に及ぼすもの」綿貫礼子編のご本人が書いた書評を紹介。(「国際原子力村」の御用学者達が無視し採用しないのは、現地で息長く治療や調査にあたってきた研究者のデータである。彼らは成人期に被曝した女性、児童期に被曝、乳幼児期に被曝、および思春期前期に被曝そして思春期および思春期前期に被曝した男女の生んだ次世代のこどもたちまでをも追跡調査の対象として来た。そして甲状腺がんだけにとどまらない健康被害を発見した。チェルノブイリ以後25年という時間はそれだけのデータの蓄積を可能にしたのだ。その結果を知るのは、フクシマの被災者たちにはどんなにつらいだろう。ミナマタの被害者にはどんなに痛恨の思いだろう。ミナマタは終わらない。チェルノブイリは続いている。そしてフクシマは始まったばかりだ。本書からは綿貫さんのほとばしるような切迫した思いが伝わってくる。今度は私たちが、彼女のメッセージを受け取る番である)ぜひ読んでみようと思う。


 上野さんは安倍内閣を「原発事故先般内閣」と命名。石牟礼さんと対談した時「福島は水俣のようになるでしょう」「このままでは第2第3の福島がおきる」と。
野中郁次郎「失敗の本質」を参考に、ミナマタとフクシマの共通項として。
第一次災害・人災、第2次災害・否認と隠蔽。第3次災害・被害者の選別、第4次災害・共同体内の差別とスティグマ(スティグマとは、他者や社会集団によって個人に押し付けられた腑の表象、烙印だそうで)第5次災害・記録の不在と情報の操作、隠蔽。
ミナマタとフクシマの三つの共通点は1、人災、構造災。2、拡大、長期化と複合化。3、被害者の差別。
残念ながら、その通りに進行している…。
上野さんはパワーポイントで著作の数々を紹介。きっと役に立つのでぜひ読んでみてください。
「リプロダクティブヘルスと環境」(綿貫さんとの共著)
ウーマンリブから40年「女たちのサバイバル作戦」
「生きのびるための思想」「上野千鶴子の選憲論」大塚英志の「憲法前文」
そして最後にNPOウィメンズアクションネットワークのHPに切り替わったら、そこには白河のアウシュビッツ記念館の小渕真理さんがインタビューを受けている映像。
今年の一月に講演で記念館に呼んでもらい、5月25日の私たちのNPOの総会に来てもらう小渕さんとここでお目にかかるとは(笑)
ミナマタとフクシマ、補助椅子が出るぐらい満席でとにかく中身の濃い講演会でした。