July 11, 2013

地元の方々が遺体捜索

9(火)
午後1時に泉駅待ち合わせで、佐藤和良さんの友人で遺体捜索にあたった方を取材。私を取材中のBSの方も同行。
豊間の合磯に住む小林征武さん(69)は地元の小泉興業の社長(65)と小泉さんの息子たちとともに3月12日から15日まで捜索。豊間は80名、薄磯は140名が犠牲になっている。小泉興業の重機3機でがれきをどかしながら豊間地区、薄磯を捜索。
さすがに放射能が怖くなり15日の午後から家族で会津に避難。

薄磯は海岸線が長く、海水浴場としては最高だ。4月10日、支援物資を積んでいわきに日帰りした際、私たちも薄磯に入った。自衛隊が捜索に初めて入った日だった。集落はほとんど壊滅、壊れた家々のがれき、店の看板、車などが散乱していて目もあてられない状況だった。堤防も途中で途切れ、道も寸断されていた。その堤防は低くて、手をついて海をながめるのにちょうどいい。この堤防に大勢の人が集まって、波が引いて沖合まで岩盤になった海底を眺めていて…大勢が犠牲になったと小林さん。
3月12日、小泉さんが捜索開始、小林さんは重機の案内役。9遺体を発見した。他県からの警察や自衛隊も捜索したが、一体も捜し出せなかった。地元の小泉さんがこの家だったらあの辺りではないかと見当をつけ、発見していったという。ある工務店の資材置き場におばあさんの遺体が。遺体は髪の毛が砂まみれで誰なのか見当がつかない。警察を呼び検死。自衛隊に運んでもらう。
小名浜はかまぼこで有名。かまぼこの板を作る会社の夫は松につかまり助かった。妻は20メートル流され砂まみれの遺体となって発見。
魚の加工やさんの駐車場、車の上に瓦礫が積み重なっていた。ジャッキのオペレーターが匂いがおかしいと探したら、つぶれた車の中におばあさんの遺体。おそらく車の中で運転手が帰るのを待っていたのだろう。
ある夫婦、夫は木につかまり、妻は山に流され車と車の間に立ったまま失神。何かにぶつかったとみえ、顔は晴れ上がりお岩さんのようだったが助かった。
一人の男性、畑の中で横たわっていた。どうして?返り波で松の木にひっかかったようだ。
中学生の息子をみつけた両親、頭が割れていた。鎖に繋がれたまま死んでいた犬。
海から30メートルの豊間の保育所、全員が八幡様に逃げて無事だったが、子供を迎えに来たおばあちゃんがふたり、子供と一緒になくなった。
小泉さんは前日に亡くなった人に花をささげてから、捜索を開始したという。
小林さんから伺った現実は実になまなましい。
この情景を語りに盛り込んで、8月4日のいわき市民会館で語るつもり、さあ、ふんばるぞ。