June 22, 2013

11(火)から22(土)よく動きました

11(火)「山本太郎さん多いに語る」南部集会に。太郎さん、東京選挙区から無所属で出馬表明した途端、会場がパッと明るくなった。皆さん、それが聞きたかったんです。太郎さん「優柔不断で遅くなってしまい」と。いえいえ「みどりの連合」を立ち上げようと懸命にいくつかの政党や団体に働きかけていたことは皆知っています。熟慮の末の決断、応援がんばります。保養支援パールのイヤリング7個も売れました。
14(金)会津坂下町に移動し、15日は3カ所での街頭演説など一日千葉ちかこさんについて応援。結果は当選できなかったが、14年間も無選挙だった町に、女性たちが勝手連を作って千葉さんを応援。新たな動きができたのは千葉さんのお陰だ。これからが楽しみ。ちかこさん、選対の皆さん、お疲れさまでした!
閑話休題。一年前にできた「子ども•被災者生活支援法」がさっぱり進展しないと思っていたら、水野靖久参事官のツイートによりやる気がまったくなかったことが判明。それにしても人を見下す天才?
「某大臣の虚言癖」「左翼のクソども」などなんと正直な。こういう人たちを私たちの税金で食わせていると思うと泣きたくなります。
19(水)車で4時間かけ南相馬市小高区の双葉食堂へ。魚貝がメインのスープで美味しかった。鎌田實さんの色紙が3枚も。お店の皆さん、私が着ている支援Tシャツ気にいってくれて、買いたいって。ありがとうございます。
 浜の景色はがれきこそ見当たらなくなったが、復興どころか何も手つかず…。小高区の大きな家の屋根瓦は撤去されていたが。原町から飯館にぬける県道12号、峠道は相変わらず高く車中で0.81も。飯舘村、草ぼうぼうで見る影もない。郡山に一泊する。中心部はほとんど0、3ぐらいの線量で放射線管理区域だ。 朝、ホテルのそばの小学校で子どもたちが運動している。誰一人マスクをしていない。気分が重くなる。重くなる訳は他にもある、先日、自民党の高市早苗氏「原発事故による死亡者出てない」とのたまった。喧嘩をうられているような気分だ。津波の後救助を待つ1000人もの人たち、避難命令が出たため自衛隊すら救助に入らず、餓死した人もいた。どんなに辛かっただろうか…。避難途中亡くなった人も。それを知りながらの暴言、即刻辞職ものだ。そして被曝生活をしいられる郡山の子どもたち。「呆れ果ててもあきらめない」とつぶや気を取り戻す。
 20(木)今日は月一の講談サロン香織倶楽部の日。3人が発表、講談の他に「わが涙滂々」(小島力)の詩を皆で読む。
 21(金)きょうは午後4時からのテント前広場のあおぞら放送に出演「あさこハウス」の小笠原さんも出演。私の子ども保養の話をうけて、あさこハウスでも保養を引き受けたいと。7月北海道ツアーの後、7月21日あさこハウス訪問が決まった。できたらツアー組みたいな〜。その後国会周辺行動に参加。サロンの鷲田厚子さんが参加している日音協の皆さんと一緒になって歌う。小島力さん詩に曲がついたものもあった。サロンからも数名がオレンジの法被姿で参加してくれた。

22(土)「講談特選会」「応挙の幽霊画」をかける。講談サロンからまた3名がきてくれ、中にはサロンの日から3日間付き合ってくれた人も。皆さん、お疲れさまでした。