April 07, 2013

春の語り芸と訪問記7

4月6日
昨年の「はだしのゲン」につづき今年は「チェルノブイリの祈り」で心斎橋劇場の「春の語り芸」(「上方芸能」主催)に呼んでもらった。すごく光栄!
台風並みの暴風雨という報道に、前乗りしたが、公演が終わるまで何事もなし。しかし満席だったのも関わらず大げさな天気予報のせいで?40席が空いてしまった。
木津川計さんに「チェルノブイリの祈り」に続けて「フクシマの祈り」「怒り」「嘆き」「希望」と「フクシマを語りなさい」と檄を飛ばされた。そう、落ち込んでばかりはいられない。フクシマを忘れさせようとする人たちに「口先三寸」で抵抗して行こう!!木津川さん、感謝です。

さて、インド訪問記のまとめです。
まず、民族衣装サリー(6メートルの布)について。
サリーは世界中の民族衣装で一番美しいといった人がいた。私もそう思う。
はじめはひらひらしたサリーで農作業はどうかな思っていたが、とんでもない。優雅な農作業姿や、バイクに乗って女性がスカーフをたなびかせる様はまるで天女?うっとり見とれる。また、実用的でもある。
サリーは用を足す時、授乳をする時、優雅に隠してくれる。スカーフは赤ちゃんを日差しから守ってくれるし、埃除けにもなる。買い物袋代わりにもなる。収穫物を運ぶときも役立つ。肌の色の地味さを鮮やかな色でひきたててくれる。
同じ色彩のサリーがほとんどない。それぞれの女性の魅力が引き立つ。
着物と比べると簡単に着付けることができる、などなど。

次は目力について
バイク、自転車、車が行き交うが皆、それぞれがさばきながら走っている。
信号はあまりない。曲がる時など、クラクションを鳴らし、手をだして、止まれ、行けと意思表示する。横断する時など目の力で俺は渡るんだ、止まれ、と主張する。
車同士でぶつかっても、少し話して、すぐそれぞれが元に戻るそうだ。面倒なのが嫌いとのこと。ボコボコに凹んだ車が多いのも頷ける。
バイクの2人乗り3人乗りなど当たり前。4人乗りも良く見かける。ヘルメットをかぶる人はごく少数。乗り合い自動車など、何人いるか数えきれないのも。みなさん、ここまでなら大丈夫と、体内に目盛りがあるようだ。
疑問なのは、埃がすごいのにマスクをしている人はいない。
布で覆っている人はいる。日傘や帽子をかぶっている女性もほとんどいない。カンカン照りの炎天下、顔を出して歩いている。歩く姿勢は背筋を伸ばして堂々と。猫ぜの人はほとんど見かけない。なぜ?

日本との目立った違い。
警官が少ない。というよりほとんど見かけない。スラムでは見かけたが。犬、牛、ヤギ、猪、皆、繋がれていない。人間と対等。ムンバイで始めてリードに繋がれた犬を見た。
日本は個人の行動が管理されている、そして人々も管理されていないと不安になっているような。何かをする時、「これは法に触れない?」「おまわりさんに叱られない?」という感覚。車の乗車人数、公園に犬を連れてくるな。などなど決めごとに触れないだろうかとまず心配する。これは教育の問題なのだろうか。
「目力」「体内目盛」、もう日本人が取り戻す事はできないのだろうか。

インドの匂い、騒音…眉をしかめている場合ではない、臭うだけ、聞こえるだけ、放射能よりずっとましなのだから。インドからは日本が見える。
おつきあいありがとうございました。