April 03, 2013

神楽坂とインド訪問記6

4月1日には、いわきの友人たちとなんと神楽坂へ。
芸者さんたちと優雅なひとときを。彼女たちの踊りに混ざって
私も太鼓たたきながらういろう売りを披露、早口の台詞を彼女たちに挑戦してもらったりして多いに盛り上がった。いわきの皆様、ごちそうさまでした。

さてインド訪問記6です。
3月5日
いよいよ今日でバイバイ、ムンバイだ。
朝5時に起きて、ブログまとめ。荷物作り。朝食時、美千代さんは胃の調子が悪いと。大久保さんは果物だけ。長野さんは調子が悪く食べず。私だけ、きっちり頂いた。お腹を下すことなく、毎日好物の辛いものをいただき、元気いっぱい、太ってしまったかも?(実は日本に戻ってすぐしめさばにあたってしまったが…)
10時半にホテルを出てインド門とタージマハルホテルを見学。大小の船が停留、あるいは発着し、カラスは大木に鈴なり、物売りは相変わらず。小さい子の写真をとったら、物売りの母親が1ドルよこせと言ってきたり。コブラ使いもいたがまた「よこせ」と言われたらと写真は遠慮した。
ホテルの日本料理屋WASABIで食べた稲庭うどんの美味しいこと。しかし、昼間の観光はとにかく暑い。何しろ38度もある。車の窓から日差しが突き刺さるようだ。助手席が定席の長野さんはすっかり顔が黒くなってしまった。
ホテルへ戻り、程なく運転手の彼が空港まで送りにきた。4時すぎに到着。ここで「中できっと会えるよね」と二手に別れた。ところがゲートが違うのだから会えるはずもなく。私と長野さんは9時の出発だからまだいいが、大久保さんと岡部さんは1時の出発。9時間も待つ事になったという最後まで、珍道中でした。
皆様、お疲れ様でした。

さてさて、このインド旅行は私にとっていい時期だったとしみじみ思う、原発事故から2年目の節目の3月、旅行している場合ではないかもしれない。だが、いっとき、すべてを置いといて、まだ一度も行った事のない灼熱のインドに身を委ねた。
 すごい数のオートバイ、車、それも廃車同然の。クラクションのうるさいこと。カラス、牛、犬、ヤギ、そして子ども、大人、人間の多いこと。
 スラム街の60万人は出生届もなく、数に入ってないのだから驚く。田舎ではこんなこんなところにも?と思うほど辺鄙な場所でも休憩所があり男たちが食事、チャイしている。おなじような感じで女性が休んでいる姿は見かけなかった。女性は特に田舎は家の中で家族の為に働いている。
田舎も都会も、地震がきたら間違いなく崩れるだろう家々。道路の前では物売り、軽食の屋台と。とにかく混沌として、煩雑で、不衛生で、埃の中で勢いよく日々生活している。
行き倒れの人、路上生活者、うつろな目でスラムをふらついていた女性…
喧騒と寺院の静けさ。日本の数倍の貧富の差。女性差別、カースト制度、言語も宗教も沢山、この国をまとめる、なんて不可能に思える。すべてがインドにはある。
 少なくとも、キリキリ悩んで、自分の小さな頭で判断するのはやめようと思った。なるようになるし、…私の娘たちももしかしたら結構たくましく生きていけるかもしれないとも思った。インドを旅行する人はふたつに分かれるという、はまる人と、二度とこない人に。わたしはどうやら前者のようだ。しばらくインドで感じたパワーを小出しにしながら、つらい現実だが、元気に福島を語って行こう!とムンバイ空港から飛び立った。いよいよ次回で最後です。