July 31, 2013

27(土)堺から31(水)天草まで

27(土)旅公演が続き、帰京して講談サロン、そしてきのうは大阪へ移動。猛暑の移動もありさすがに疲労感を感じる。が、昨年に引き続き「福島報告」と「はだしのゲン」で呼んでくれた和泉おやこ劇場さんには大感謝。スタッフのみなさんが昨年の支援Tシャツ姿で来てくれ、うれしい〜。また、今年の新デザインも20枚完売!昼の部には大津で避難生活をしている青田さんご夫妻がきてくれ、ご本人の前で「一万円」を読ませてもらう事ができた。夜の部終了後、大急ぎで関空のホテルへ移動し、閉店30分前のお店で食事、なんとまあ、慌ただしいスケジュール!ゆっくりご挨拶もできなかったけど、和泉親子劇場の皆さん、お運びくださった皆さん、ありがとうございました。

28(日)朝7時半のピーチの便で福岡へ移動し、福岡から天草エアラインで天草へ。4時からポルトで「米軍ジェット機墜落事件、哀しみの母子像」を。この公演には25日から保養で天草に来ているいわき育英舎の小学生9人が参加、難しいのではないかと思ったが、終了後4年と6年の子がまた聞きたいって!親との縁がうすい子供達、きっと、父親が3歳と1歳の息子達を見送るシーンに、また、土志田和枝さんが二人の子供の死を知らせれ、子供達への切々たる愛情を語るシーンに心打たれたのではと思うと…。夜は保養事業に同行してくれているふくしま支援人と文化ネットワークの横田さんと広重さんたちと笠井さん宅で会食、笠井さんが天草へ移住して6年、彼女のネットワークのお陰で今回の事業も実現できた。笠井さん、ありがとう!
29(月)天草から熊本へ移動し、熊本県民交流館10階パレアホールで「チェルノブイリの祈り」主催は川内原発、玄海原発運転差し止めを求める弁護士さん達の団体だ。私もこの訴訟団に加わらせてもらい、「再稼働なんで許さない」とともに踏ん張りましょう。
Twitterで届いた永尾さんからの感想をご紹介。「昨夜はすばらしいチェルノブイリの祈りをありがとうございました。生身の神田さんは打てば響くような感度の良さ、ビビッドな強い生き方、公演とともに、今度は講演を一緒にしてほしい!伝統話芸、好打に“現代”という行きを吹き込んで講談が蘇ってました!」永尾さん、すてきな感想、パワーにかえていきます!
31(水)きのうは熊本から天草へ戻り、夜は新和町公民館で講談会と子供達のお別れ会。子供達をホームステイでお世話してくださった皆様の挨拶の後、講談は「応挙の幽霊」を一席。きょうはいよいよ別れの日、公民館でこどもたちも手伝いした朝食を食べ、こどもたちと付き添いの先生、NPOの二人がバスにのり熊本へ。バスの窓から手を振る子供達、見送る地元の皆さん、私。公民館の後片付けはなんか、気が抜けてしーんと。天草の皆さんが愛情たっぷり注いでくれて、言葉がないほど感謝、ありがとうございました!


July 25, 2013

20(土)大間から25(木)サロンまで

20日夕方フェリーで大間到着。風が吹き渡り気持ちいい。おそらく冬の風景は…寒そう。早速散歩する。衣料品店は長靴や細かい日用品もあり、お客さんが次々と入ってくる。大間にきたらやはりマグロとちょっと高かったが思い切って注文。さすがに大きくて大満足。大間原発が稼働したら、名物は大間の放射能マグロになっちゃうのだ。建設中断中の大間原発、電源開発の一部に私有地がある。それが「あさこはうす」

21日、朝早く散歩すると、古い建物の公民館が投票場になっていて高齢者が。昼過ぎ、あさこさんの娘さん、小笠原厚子さんに会いにいく。行ってみて驚きました。なんと一町歩もの広さ。ヤギやウサギや鶏を飼って、子供達の遊び場にしたいし、福島の子供達の保養にも活用したいと言ってくれた。ところが、昨年から13メートルの深さの朝子ハウスの井戸が枯れてしまったそうだ。
原因は電源開発が近くに井戸を深く掘り、朝子ハウスの井戸水が海に流れるようになってしまった為とか。水がなくては…。井戸をもっと深く掘るという手もあるがお金がかかるし、もし温泉を掘り当てたらどうしようと(笑)とにかく明るくてたくましい厚子さん、水を出す知恵をみなさん、どんどん出してください!

22(月)投票率が低くわずか18パーセントの支持で自民党が圧勝。民意を得たなどと絶対にいわせないし、選挙結果に呆れ果ててもあきらめないぞ!
太郎さんの勝利には溜飲が下がる。ポスター張りして応援した甲斐がありました。三宅洋平さん、リズムと言葉、実に多くの若者を引きつけて泣きたくなるようないい闘いでした。
沖縄の糸数さん、吉良さん、又一さん、当選、森ゆうこさん、谷岡郁子さんが落選。この二人は実にいい仕事をしていたし、なくてはならない存在だったのに…。
福島を背負って立った井戸川さん、木村さん、木田さん、お疲れさまでした!

23(火)「物置のピアノ」の映画ロケで伊達市へ。ピアノの先生役で2シーン出演させてもらう。考えたら映画出演は初めて、いい経験をさせてもらった。宣伝頑張ります。
25(木)講談サロンの日、8月の発表会にむけてリハーサルが中心。振り込め詐欺にかかりそうになった体験講談に大笑い。広野町天神岬にまつわる歴史物語を書き上げた福田敬さんの講談は今後語る場所が増えるかも?


July 20, 2013

北海道ツアー

7月16日から19日まで真宗教団連合の「夏季仏教文化講演会」に講談「はだしのゲン」で呼んでもらう。連日朝晩涼しくて、湿度もなく避暑にきたよう。北海道の真宗はまとまりが良く各派が合同で開催、なぜ各派が仲良く?と尋ねたところ、開拓団とともに北海道に入った真宗、歴史が100年と浅く、互いに助け合ってきたから、とのこと、納得です。今回の参院選、脱原発候補が少なからず出馬、もう少し各政党がまとまって絞り込みができなかったのか、と無念に思っていたから尚更です。
 初日は乗り打ち。会場は真宗大谷派旭川別院。僧侶のみなさん、機材運び、売店担当と手際良く協力して下さった。お客さんは門徒の皆さんと一般の方々。連日、バスの送迎もあり、満席。17日の空知の会場は体育館だったが、爽やかな風が吹き抜け、自然のクーラーに感動する。知り合いのお母さんが控室に訪ねてきてくれこれも嬉しいハプニング。
18日は小樽。戦後50年の節目の年に真正寺のご住職にやはり
「はだしのゲン」で呼んでもらっていて18年ぶりの再会。お客様はほとんど女性で前段で一言言う度に大きくうなずいてくれてました(笑)打ち上げはレンガ横丁でジンギスカンをご馳走に。横丁の広場で各店からそれぞれ飲み物などを運んでもらい、いい雰囲気、10年前にできたそうだ。
翌日も天気がよく小樽観光、天狗山の山頂の「鼻なで天狗さん」なでると願いがかなうということで、脱原発候補、全員当選を願いなでなで。
19日、千秋楽の室蘭は、ホテルの会場になんと450人も。室蘭日報にも大きく案内を出してくれ、一般の方の問い合わせも多かったとか。保養支援の真珠のイヤリングは若い僧侶さんがお連れ合いにプレゼント、など7個も売れ感激でした。室蘭から函館への移動は観光がてら。洞爺湖、昭和新山、そして五稜郭公園、ケーブルで箱館山にも。すばらしい景色にうっとり。夕方のフェリーで大間へむかい、大間で一泊。21日はあさこはうす訪問します。どの会場も大入り、そして連日晴れ渡り涼しい北海道の旅公演でした、真宗教団連合の皆様、ありがとうございました。


July 13, 2013

モンブランさん


11(木)朝早く起きて、蒲郡市民会館のこども劇場東海連絡会の2014年度企画会議に出席する。昨年は豊明こども劇場さんに「フラガール」で呼んでもらったばかり。今回は最初、各劇場さんの方から、会員の皆さんからの要望が述べられた。ダントツ一位は「楽しく笑える」次に「感動できるもの」この場合、楽しく笑える作品がここには来ないとのこと。笑いはその場だからね。あと「平和について考えるもの」などなど。
少子化で会員が減る傾向にあり、また行政の文化助成も減るし、踏ん張りどころだ。
 マジックファクトリーのモンブランさんの話は心に残った。高校の頃不登校だった。実家が駄菓子屋でお留守番。ある日小学生が暗い顔で入って来たので手品をやってあげたら顔がパッと明るくなって、翌日5人の仲間を連れてまた来た。またまたみんなに受けた、そのうち小学生たちが毎日のようにくるようになった。自分の手品でこんなに喜んでもらえた。彼はマジシャンを志す。親に認めてもらうため、次の日から学校へ行きだした。偶然だがなんともう一日欠席したら退学処分になるところだった。「自分は取り柄のない人間だと思っていたが一人の男の子が人生をかえてくれた」と。いい話だ。栃木なまりもいい味だ。がんばってね、モンブランさん。
交流会に参加できないのが残念だったが、ホッとした一日でした。

 12(金)きょうも猛暑。空梅雨があけたと思ったら7日から連日すごい暑さだ。午前中カーブスに行くのをあきらめ、吉祥寺の割烹料理店へ。鹿砦社さんの記念日で「チェルノブイリの祈り」を一席。その記念日がなんと松岡社長が言論弾圧で不当逮された8年前の7月12日。屈辱の日を記念日としてみなで当時を思い返す。いいではないですか!
沖縄は4月28日。福島は「収束宣言」の12月16日だ。屈辱の日にパワーもあらたに元気よく立ち向かう。12月16日、盛り上げます!


July 11, 2013

地元の方々が遺体捜索

9(火)
午後1時に泉駅待ち合わせで、佐藤和良さんの友人で遺体捜索にあたった方を取材。私を取材中のBSの方も同行。
豊間の合磯に住む小林征武さん(69)は地元の小泉興業の社長(65)と小泉さんの息子たちとともに3月12日から15日まで捜索。豊間は80名、薄磯は140名が犠牲になっている。小泉興業の重機3機でがれきをどかしながら豊間地区、薄磯を捜索。
さすがに放射能が怖くなり15日の午後から家族で会津に避難。

薄磯は海岸線が長く、海水浴場としては最高だ。4月10日、支援物資を積んでいわきに日帰りした際、私たちも薄磯に入った。自衛隊が捜索に初めて入った日だった。集落はほとんど壊滅、壊れた家々のがれき、店の看板、車などが散乱していて目もあてられない状況だった。堤防も途中で途切れ、道も寸断されていた。その堤防は低くて、手をついて海をながめるのにちょうどいい。この堤防に大勢の人が集まって、波が引いて沖合まで岩盤になった海底を眺めていて…大勢が犠牲になったと小林さん。
3月12日、小泉さんが捜索開始、小林さんは重機の案内役。9遺体を発見した。他県からの警察や自衛隊も捜索したが、一体も捜し出せなかった。地元の小泉さんがこの家だったらあの辺りではないかと見当をつけ、発見していったという。ある工務店の資材置き場におばあさんの遺体が。遺体は髪の毛が砂まみれで誰なのか見当がつかない。警察を呼び検死。自衛隊に運んでもらう。
小名浜はかまぼこで有名。かまぼこの板を作る会社の夫は松につかまり助かった。妻は20メートル流され砂まみれの遺体となって発見。
魚の加工やさんの駐車場、車の上に瓦礫が積み重なっていた。ジャッキのオペレーターが匂いがおかしいと探したら、つぶれた車の中におばあさんの遺体。おそらく車の中で運転手が帰るのを待っていたのだろう。
ある夫婦、夫は木につかまり、妻は山に流され車と車の間に立ったまま失神。何かにぶつかったとみえ、顔は晴れ上がりお岩さんのようだったが助かった。
一人の男性、畑の中で横たわっていた。どうして?返り波で松の木にひっかかったようだ。
中学生の息子をみつけた両親、頭が割れていた。鎖に繋がれたまま死んでいた犬。
海から30メートルの豊間の保育所、全員が八幡様に逃げて無事だったが、子供を迎えに来たおばあちゃんがふたり、子供と一緒になくなった。
小泉さんは前日に亡くなった人に花をささげてから、捜索を開始したという。
小林さんから伺った現実は実になまなましい。
この情景を語りに盛り込んで、8月4日のいわき市民会館で語るつもり、さあ、ふんばるぞ。