April 27, 2013

埼玉県母親大会

27年前の4月26日
に起きたチェルノブイリ原発事故では、政府は30キロ圏内の住民約14万人を強制移住させ、27年経った現在でも30キロ圏内は居住禁止。ああ、それなのに。日本は正反対で、県外に自主避難した者は甲状腺検査も受けさせない。事故からわずか2年で警戒区域を解除して帰村宣言。未だ15万人が避難生活を強いられ内5万人以上が県外へ。保障も賠償も遅々として進まず…。まるで「人権」を略奪されたような福島県民をあざ笑うかのように再稼働の動き。
そして28日、沖縄にとって屈辱の日を「主権回復の日」として祝うんだとさ。沖縄県の皆さんにしてみれば「ハラワタが煮えくり返る」ような仕業。安倍首相のやることなすことまったく、正気の沙汰とは思えず、呆れ果てるしかない、が、決してあきらめませんわよ〜。
沖縄にとって4月28日が「屈辱の日」ならば、福島にとっての屈辱の日は野田前首相が「収束宣言」を出した12月26日ではないだろうか。この日を記念日にして「ならぬものはならぬ」とみんなで抗議しよう。

そんな気持ちで迎えた27日の「埼玉母親大会」だから、もう言いたい放題言わせたもらった。
最初に「釈台かわりに会場の演台をたたかせてもらうが、みばえは良くても中身がないと軽い音しか出ない、人間と一緒でまるで安倍さんみたいに」て言ったら、1000人もの母親たちに大受け、後はもう笑ったり泣いたりであっと言う間の一時間。
 持って行った25冊づつの本は瞬時に売り切れ、皆さんから「もっと持ってくればいいのに〜〜」と残念がられ、それではと、出版元を書いた紙をコピーして渡し「本屋で注文してください」。埼玉県の本屋さんびっくりするかも(笑)
晴天の土曜日上尾市文化センターにお運びのみなさん、ありがとうございました!

April 23, 2013

雪の中会津坂下へ

4月21日、
 きょうは会津坂下町公民館で仮設住宅のみなさん激励講談会、というわけで朝8時に出て東北道へ。するとまもなくラジオから那須〜白河間が雪と事故のため通行止めになっているとのアナウンス。
 さあ、眠気もふっとび急ぎ町議の千葉ちか子さんに電話し、那須で降りた後「那須塩原」から新幹線で郡山に向かう事になった。高速降りるも渋滞で間に合いそうにない。寅さんの緊急事態、掟破りのカーチェイスのような運転でなんとか間に合った。非常事態のときは道交法を拡大解釈、頭の切り替えが必要、と学ぶ。
 郡山から磐越線になりかえ会津若松へ。駅に迎えの千葉さんの車にのり、ぎりぎりセーフ。会場に着いた段階で一日が終わったような気分。「命がけで来ました」と到着までの顛末をお話ししながらスタート。100人近くの皆さん、びっくりしたり笑ったり。青田さんの詩を読む、そこここからすすり泣き、と「よく言った」の拍手が。終了後は皆さん一人一人とと握手してお見送り。青田さんの「拝啓電力会社様」と「一万円」はコピーして皆さんに。「笑い」と「怒り」の青田節。皆さんで読んでもらいたい!
 昨年「フラガール物語」で呼んでもらった光照寺の和田住職の怒りの絵と文。気迫があります。
打ち上げはお寺近くのお店で。そして宿泊は定宿?千葉ちか子町議のお宅へ。お庭の桜が満開でした。
22日は美里町の楢葉町仮設住宅へ。高齢者の方々に織乃が「お歌合わせ」私はお語りと「ういろう売り」と、ちか子さんが夜なべして作ったお土産のちまきをいただきながらたのしいひとときをご一緒させてもらいました。



April 20, 2013

浜ネット集会で「一万円」を

 朝起きたら猫の孝太郎がどこにもいない!密室から消えた猫。瞬時に目が覚めた、どうしよう、里親会の方になんていったらいいか?
彼がよく隠れているお気に入りのソファーの下をのぞくと、そこにもいない。が、ソファーの底布がいつもと違う。真ん中が床に付き添うになっている。手をあてると暖かい。破れ目もある。
「はは〜ん」破れ目のそばに餌のお皿を近づけてみる、と、少し顔をだし、手で引き寄せようとする。なんと横着な(笑)
江戸川乱歩の「人間椅子」ならぬ「猫椅子」騒動も、破れ目にガムテープを張って一件落着。
 静岡の労政会館に向かう。結成17年目を迎えた「浜岡原発を考える静岡ネットワーク」主催の講演会に呼んでもらった。青田恵子さんの「拝啓関西電力様」と「一万円」を読む。青田さんの詩はお国なまりがとてもいい。笑いと怒りの青田節だ。きっと豊かに育った方なのだろう、お手紙の字も達筆だったし、布絵はがきも情感あり幼い頃を思い出した。
「一万円」
宮城県に五人で避難していた二ヶ月
当座の物品購入費用代一万円の賠償請求したんだわ
東京電力さ郵送したらば二、三日して速達が来たんだわ
さすが東京電力やるごと早(は)えごどと思って開けて
見たらば一万円の領収書つけてよこせって戻さっちぇ来たったの
レシートなんと どっかさ失くしたべし
失くしたならば買った店の名前ゆってよこせって
買った日付もゆってよこせって
そだごと今さらわかんねー。思い出せねー。
やっぱしくれたくねえんだ一万円
一万円くれてやっからあれ出せこれ出せと
はじめっからねえのわかってゆってくる
おめぇらだって二年も前の買物覚えてっか?
ダイヤモンドやマンションでねえんだよ
茶碗5個 湯呑み5個 皿5枚たわしにスポンジ 
ほいちょ(包丁)にまな板
自衛隊から水もらうのに並ばねばなんねえし
その日その日 生きんのに精一杯で
そだ領収書どころでねがった
ゆくゆく賠償さ必要になっぺなんてそだごとまで考えらんにぇがった
座卓もねえ 畳さ 新聞紙広げてテーブル替りにしたんだげんちょも
紙コップから初めてセト物の茶碗で「お茶っこ」した時はうまかったなぁ
五人で二ヶ月間の日用品だよ
下着も着替えも何にもねかったんだよ
一万円とはずい分少なく見積もってやっちまったもんだ
領収書出せなんて おどすもんだから
こっちから東電さオマケして安くしてやったんだ
どこまで欲深であさましいやつらなんだ
ああ! いらねえ いらねえ一万円なんと いらねえわ
そのかわり ”3・11”の前の福島さ戻してくいろ
早春の阿武隈の峰より注ぐ 
あのオレンジ色の残照に包まれた
オラのふる里を返してくいろ

浜岡原発を考える静岡ネットワーク」の竹内さんが写真入りでブログを書いてくれました。ご覧あれ!

April 19, 2013

いや〜ご無沙汰でした

4月18日
ここのところ、娘たちの引っ越しやらバイトやらで
すっかりご無沙汰してしまったブログ。まずは10日に赤羽の里親会から預かったきじとら「こーちゃん(孝太郎)」騒動。

まだ3ヶ月の孝太郎、しばらくはおどおどしていたがここのところすっかり慣れて、夜中に元気いっぱい。ケージを外した夜は鏡に移った自分にびっくり?鏡を倒して大きな音!一階に寝たきりの方がいるので、ハラハラまんじりともできず…。近いうちに意を決してうるさいかどうか聞きにいかねば。
さて、昨日の講談サロンは木津川計さんの本を用いて、間の取り方のおさらい「嫁さんうって絵の具を買った 娘を売って筆買った おふくろ売って家賃を払った おやじを売ったら返品された」もちろん、落ちは「返品」この前に半白の間をいれるというわけだ。
「落ち」をかくして、まずは詩だけをみんなに読んでもらう。まさかの意外な展開に私はのたうち回ることになるとも知らず…。
最初に指名した織峯さんがなんと浪曲とも新内ともなんともわけのわからない節をつけて読むではないか!もう後に続く人たちはぐちゃぐちゃ(笑)それでなくても個性的な皆さん、負けじと不思議な音読大会。悪代官風あり、歌舞伎調あり、都々逸風あり…。
涙流しながら私は笑い転げた。なんてユニークな人たちなんでしょう!
講談サロン香織倶楽部、おそろしや〜〜。
木津川さんの「朗読•かたり文化の地平」をテキストに加える事に決定!
新作、珍作楽しみにしていてください。


April 07, 2013

春の語り芸と訪問記7

4月6日
昨年の「はだしのゲン」につづき今年は「チェルノブイリの祈り」で心斎橋劇場の「春の語り芸」(「上方芸能」主催)に呼んでもらった。すごく光栄!
台風並みの暴風雨という報道に、前乗りしたが、公演が終わるまで何事もなし。しかし満席だったのも関わらず大げさな天気予報のせいで?40席が空いてしまった。
木津川計さんに「チェルノブイリの祈り」に続けて「フクシマの祈り」「怒り」「嘆き」「希望」と「フクシマを語りなさい」と檄を飛ばされた。そう、落ち込んでばかりはいられない。フクシマを忘れさせようとする人たちに「口先三寸」で抵抗して行こう!!木津川さん、感謝です。

さて、インド訪問記のまとめです。
まず、民族衣装サリー(6メートルの布)について。
サリーは世界中の民族衣装で一番美しいといった人がいた。私もそう思う。
はじめはひらひらしたサリーで農作業はどうかな思っていたが、とんでもない。優雅な農作業姿や、バイクに乗って女性がスカーフをたなびかせる様はまるで天女?うっとり見とれる。また、実用的でもある。
サリーは用を足す時、授乳をする時、優雅に隠してくれる。スカーフは赤ちゃんを日差しから守ってくれるし、埃除けにもなる。買い物袋代わりにもなる。収穫物を運ぶときも役立つ。肌の色の地味さを鮮やかな色でひきたててくれる。
同じ色彩のサリーがほとんどない。それぞれの女性の魅力が引き立つ。
着物と比べると簡単に着付けることができる、などなど。

次は目力について
バイク、自転車、車が行き交うが皆、それぞれがさばきながら走っている。
信号はあまりない。曲がる時など、クラクションを鳴らし、手をだして、止まれ、行けと意思表示する。横断する時など目の力で俺は渡るんだ、止まれ、と主張する。
車同士でぶつかっても、少し話して、すぐそれぞれが元に戻るそうだ。面倒なのが嫌いとのこと。ボコボコに凹んだ車が多いのも頷ける。
バイクの2人乗り3人乗りなど当たり前。4人乗りも良く見かける。ヘルメットをかぶる人はごく少数。乗り合い自動車など、何人いるか数えきれないのも。みなさん、ここまでなら大丈夫と、体内に目盛りがあるようだ。
疑問なのは、埃がすごいのにマスクをしている人はいない。
布で覆っている人はいる。日傘や帽子をかぶっている女性もほとんどいない。カンカン照りの炎天下、顔を出して歩いている。歩く姿勢は背筋を伸ばして堂々と。猫ぜの人はほとんど見かけない。なぜ?

日本との目立った違い。
警官が少ない。というよりほとんど見かけない。スラムでは見かけたが。犬、牛、ヤギ、猪、皆、繋がれていない。人間と対等。ムンバイで始めてリードに繋がれた犬を見た。
日本は個人の行動が管理されている、そして人々も管理されていないと不安になっているような。何かをする時、「これは法に触れない?」「おまわりさんに叱られない?」という感覚。車の乗車人数、公園に犬を連れてくるな。などなど決めごとに触れないだろうかとまず心配する。これは教育の問題なのだろうか。
「目力」「体内目盛」、もう日本人が取り戻す事はできないのだろうか。

インドの匂い、騒音…眉をしかめている場合ではない、臭うだけ、聞こえるだけ、放射能よりずっとましなのだから。インドからは日本が見える。
おつきあいありがとうございました。