September 07, 2012

富岡町の入り口まで

5日。
いわき駅についたら見慣れた顔が。駅の案内所に27日の「安寿と厨子王」の私のポスターが張ってあった。「商工会議所女性部30周年記念講演会」とだけ書いてあって演目が書いてない。と思ったら小さく「安寿と厨子王」と。演目を大きく書いてほしかった、惜しい。
高木さんから車を借りて、警戒線が下がったところまで6号線を走った。高木さんは好間で仮設の皆さんのお世話をしている。大熊町の仮設を案内してもらう。閉じこもり体調を崩している高齢者が多いそうだ。皆さんのため畑作業を。が、猛暑に長時間草むしりをして熱中症になり、体調が今一、お大事に。
その後、ジェイビレッジから10キロのびて冨岡の手前まで下がった警戒線へ。関西から若い自衛隊員達が派遣されていた。線量は0、6μぐらい。高いな〜。がこれぐらい、いや、もっと高いところで生活させられている大勢の子ども達がいると思うと、情けなくなる。第2原発のちかくまで入ることができた。海岸線を走ると毎回津波被害がそのまま残っている風景を目にする、なにも終わっていない。この現実を多くの人に見てもらいたいものだ。午後3時からラトブで商工会議所女性部の皆さんと打ち合わせ。夕方からはNPOの吉田恵美子さん、金成さんと会食。その後は夜明け市場の「ありがとう」へ。原発作業員の方が常連のこの店、今回も濃い話を聞くことができた。私と同じぐらいの年齢の彼は壁面がプールに落ちるのを防ぐため4号機のプールのそばの壁を3ヶ月ぐらいかけて塗装し直したそうだ。そして、言う「2号機3号機の方が危ない」詳しい話は聞けなかったが、店主の志賀さんいわく「毎日、こんな話ばっかり。毎日避難を考えている、娘達が結婚するとき福島というだけで破談になるなんて許せない」。前回よりずっと疲れている様子だった。「収束宣言」をまずは撤回し、現実と向き合わなければまたとんでもないことになる予感。