July 23, 2012

オスプレイに反対する理由

ここ数日涼しくて一息ついたがきょうからまた暑くなるそうだ。
そして間違いなく熱くなった。さきほどオスプレイが日本に上陸したのだ。私も心から反対する一人。そのわけは講談「哀しみの母子像」だ。35年前横浜緑区に墜落した米軍ジェット機、幼い男の子2人が亡くなった。その事を知らされないまま激痛の皮膚移植に耐えた母親。やがて子どもたちの死を知ることになる。絶望しながらも皮膚をくれた人たちのためにもと歯を食いしばって治療にたえ、そして「死」につながる「自立」の為のリハビリがはじまり…。講談本「乱世を生き抜く語り口を持て」(インパクト出版会」を読んで電車の中で号泣した人もいるほどだ。そして、2年前の秋にたずねた沖縄を思い出す。(2010年11月のブログから)
「宮森小学校の元教師の豊濱光輝さんの話を聞きに行く。豊濱さんは51年前ジェット機が墜落して、民間人6人と小学生11人が犠牲になった「石川・宮森小学校ジェット機墜落事故の証言集に昨年から取りかかっている。「事故を語ることができる迄50年の歳月が必要だった」25歳の国語の教師だった彼は長いこと遺族恐怖症だったという。「1300人の生徒がいるのになぜうちの子が」「先生が生きていてなぜ子どもが死んだ」…。約2時間に及ぶ取材では涙なしには聞けない貴重な記憶の数々だった。豊濱さんは宮森小までご案内してくれ当時の小学校の様子など、解説をしてくれた。「今、なぜ宮森?と聞かれるが、宮森じゃない、問題なのは米軍ジェット機墜落事故なのだ」。
宮森小も横浜緑区ジェット機墜落も、基地がある為に事故でなくなった方々の無念の声が聞こえる、そしてまたその悲劇を繰り返そうとしている。
米軍基地はいったい誰を守っているのか!

 そしてきょうは長女の25歳の誕生日。おめでとう!
あの日、都内は36度という猛暑で、森田さんと、セツ子さんが病院にお祝いにきてくれたっけ。セツ子さんの「こんなに整った顔のかわいい赤ちゃん見たことがない」といって喜ばしてくれた言葉はわすれない。あれから25年。日本は激変した。そして娘は聡明でチャーミングな大人になった。こんな世の中になってしまったけど、智恵をめぐらせて生き抜いておくれ!