June 20, 2012

20キロ圏内訪問記

6月16日
前日再稼働に反対する市民が1万人以上も首相官邸に集結した。
今日午前に首相ら4大臣が集まって再稼働を決めるという。
いわき社民党で佐藤龍彦さんの車に同乗し、20キロ圏内に向かう。
広野町に入ってすぐ、役場の前の古市強さん宅で雨合羽をきて準備。古市さんの奥さんは安寿と厨子王の乳母、竹の出身地のところだそうだ。奥さんの家も津波に持っていかれてしまった。
閑話休題。
ご存知安寿と厨子王伝説。実はゆかりの地が福島県内に点在しているのです。母子と乳母は悪者からのがれ福島から新潟へ。京都を目指すが、だまされて母、信夫の方と乳母竹が一つの舟へ。安寿と厨子王は別の舟と離ればなれになったとき、竹は海に身を投げた。その竹が龍に姿をかえ、空を飛んで古里広野へ戻り、松にからまり血の涙を流したという「血塗りの松」。海辺にあったがはもうだいぶ前に枯れて今はないそうだ。竹を奉る蛇王神社では毎年6月には竹祭りが開催されたが去年からはお休み中…。この話を講談で復活させるつもりです。

今、広野町は600人ぐらい戻っているが、インフラ、病院、仕事、保障などまだ。本来は戻すのとセットでなければならないと佐藤さん。古市さんに案内してもらい2つ沼総合公園は作業員のための宿舎が立てられかつでは子どもたちがきゃきゃと遊んだ遊具の周りは草ぼうぼう、見る影もない。ここは0.3μ。

少し移動してサッカー支援センターへ。3階の屋上からスタジアムを見下ろすと、作業員宿舎で埋め尽くされていて、時計が2:46で止まったまま。

ここで古市さんと別れ、ジェイビレッジの検問を通っていよいよ20キロ圏内へ。
天神岬から火力を遠くに見て眼下の景色を見下ろすと、霧雨の向こうに津波でやられた様子がおぼろげにみえる。ここは広々とした公園で子供連れで賑わっていた憩いの場所。私もなんどか来たことがある。線量は0.78マイクロ。
富岡町のエネルギー館前当たりで2.0マイクロ。ここは母と入ったことがある。もう25年も前のことだ。二人でドライブがてら原発見学に行ったのだが、入り口で追い返された。「危なくないならみせてもいいべ〜」と交渉したが相手にされず、かわりに「エネルギー館へどうぞ」。エネルギー館の中身はキュリー婦人やエジソンが出てきて、かれらが原発を作ったような印象にしてあり、あきれ果てたものだった。
2エフ入り口で0.7マイクロ。夜ノ森の桜並木、雨に煙って寂しい限り。「リフレ富岡」は宿泊施設もある立派な建物、ホールから宿泊施設までわざわざ長い廊下を渡る。遠いな〜と思ったものです。ここは4.2μ。
双葉町に入った。「原子力明るい未来のエネルギー」の看板を見てアウシュビッツのそれを思う。「労働は自由への道」。為政者は後ろ暗いことを企むとき、響きのいい言葉を生み出す。「社会保障と税の一体改革」もそうだ。そして裏切られ、国民は犠牲になる。なんども繰り返されると、もう悲劇なのか喜劇なのか分からなくなる。

院長が逃げたとデマがとんだ双葉病院。ベッドがそのまま!50人以上の患者さんたちが避難中、避難先で亡くなった。


100億かけたオフサイトセンター、何の役にも立たなかった。
2年に一度避難訓練が行われたが、出るとお弁当が振舞われた。消防士たちが動くのをただ見学していただけだったと佐藤さん。
大熊町に入ると線量がぐんぐん上がる。熊小、中の前で30マイクロ。車の中でも10マイクロあった。
400人以上が津波の犠牲になった請戸地区、原発事故のせいで救助してもらえず衰弱死した人も。

小学校の建物がポツンと残っていた。小学生たちは避難途中とおりかかったダンプカーに全員乗せてもらい、奇跡的に助かったという!

20キロ圏内、これだけの現実が未だに放置されているのに、どの口で再稼働などといえるのか。
国民の生活を守るため原発を再稼働するならば聞きたい。福島県人は国民ではないというのか。
福島県人がどんな気持ちで再稼働のニュースをきいているか、そんなことも想像できないのか!我が国の野の字の方は。
そうだ、今度は野の字をつれて20キロ圏内へ行こう!