May 16, 2012

解除なった小高区へ。

5月11日、原発から20キロ圏内の警戒区域、4月16日から解除となった南相馬市小高区へ行く。市内は平常通りの日常があるのに、小高はまるで一年前にタイプスリップしたようだった。商店街は崩れた家々がそのまま、書店の本もそのまま…。そしてだれもいない小高ふれあい広場のスピーカーから突然聞こえてきた「踊ろうよマンボ、私と愉快に、愛してマンボ〜」。駅の自転車置き場にはおそらく通学等で置いたままの自転車がもたれあっていた。
小高神社、石灯籠や鳥居の上部が落ち、それがシートの上に並んでいる。修理のおじさんが呆然としている「どこからはじめたらいいか…」。地震は相当強かったようで、双葉町の人が「双葉よりひどい」とおじさんに言ったそうだ。
セブンイレブンは泥棒にあらされたまま…。事件現場だ。駐車場にはワインやウイスキーの空き瓶が転がっていた。ここで酒盛りでもしたのだろうか。3月11日の新聞もそのまま。海の方へ向かう。津波に襲われた直後のような風景。あちこちにひしゃげた車が転がっていた。開拓地の圃場は海水がたまって、そこに鷺がやすんでいる。線量は0,3〜0,4ぐらい。海からの風の影響か、それほど高くはない。一階が津波で破壊された家の方々が写真を撮っていた。「まだ20年しかたってないのに…」と言いながら。




果たして小高へ戻って来る人がいるのだろうか。もしいたとしても、ここで生活を再建させるのはどれでほど時間がかかるのだろうか…。タイムトンネルをくぐり現実にもどって、帰りも6号線が通れないからまた飯館村を通過していわきへ向かう。「オール電化の家」の看板が。飯館の田んぼはタンポポ畑だ。野山の緑がさまざまな色合いを見せている新緑の5月、見た目はこんなに美しいのに、あの飯館村はもうない。自然が牙を剥いていた。