February 14, 2012

いのちを守る福島サミット(11日)


11日福島駅に隣接する「コラッセ・ふくしま」で開催の「放射能からいのちを守る全国サミット」に参加。
夏休み等に保養地として家を利用してほしいと、「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の湘南、花巻市、京都、奈良の会員さんたちが申し出てくれた。数日でも高線量の地から離れると子どもたちの細胞がリフレッシュできるのです。
サミットは11、12日開催され一日目は避難者受け入れの事例紹介と午後は分科会、そして分科会のまとめ発表。2日目が全国の支援団体と被災者・避難者支援の相談会。2日目で具体的に決まるのだけど私は1日目しか出席できず。
分科会は「保養プログラム」に参加し、相談しようと思ったが、あらかじめ決められた事例報告で終始。で終了後司会の方に相談したところ「震災直後と違って今は落ち着いている。子どもネットにメールで書き込めるのでそこへ登録しては」とアドバイスをいただいた。アドバイスを活かし、かつ、連絡があることを祈りつつ、会員さんからの物件コピーをチラシコーナーに置く。

一日目の報告は盛り沢山、避難された人たちの生の声、受け入れ先の工夫等大変参考になった。
まずは主催者の挨拶、佐藤幸子さん「避難を呼びかけようと思った矢先に県が「100ミリまで安全」キャンペーン。それを信じて多くの県民が動かなくなってしまった」。避難生活を送る女性「なにげない普通の生活を大切にしてください。私たちはそれができなくなりました」16万人が県内外に避難し、内6万人が県外で生活をしている現実がある。

事例報告として受け入れに積極的な北海道は札幌(むすびば)から。(むすびば)は昨年の3月16日にできて、雇用促進住宅に沢山の避難者が住んでいる。(約150世帯500人)お茶会から自治会へ。そこに保育施設も作った。イベントや地域との連携して一緒に行動。自主避難した人たちが活発に動いていて、いつでも受け入れている。なるほど会場のキルト作品に思いが込められていた。受け入れに積極的な北海道に感謝。


関東の避難母子の会は31家族の会員で6月11日に立ち上げた。品川に拠点があり、私もテーブルを提供させてもらった。月に一度集まって情報収集している。利点は仲間と語りストレスの軽減、正確な情報。会員同士の交流など。3月には国連に2人派遣し、都立高校への講演も予定、こどもたちに福島の現実を知ってもらう貴重な取り組み、ぜひ語り部として継続、拡散してほしいと願う。そういえば国鉄闘争団もお母さんたちが語り部となって支援の輪を広げていったっけ…。
大阪からは街づくり支援協会。阪神大震災のとき発足。年寄りたちがひと月事に約5回ぐらい引っ越しをして、やがて連絡がとだえてしまうケースが多かったそうだ。避難者が生活の場を自ら築く。雇用をつくり、ソーラー利用で年寄りも子どもも住める賃貸住宅「カントリーファーム」(参加型街づくり)が奈良県にできると言う。
京都も3月16日には福島県に現地連絡所をつくり460世帯1300人以上受け入れている。関西は阪神大震災の体験があるから積極的でノウハウもあり、分科会でも驚いたが自然にお互いの連携ができている。この「おせっかい」精神、関東等おおいに見習いたい。
分科会は予定数をはるかに上回り立ったままの参加者多数。先ほども書いたように発言の機会がほとんどないなか、無理矢理のように立ち上がった私の隣の沖縄の方「石垣島には神奈川、埼玉、千葉、東京など関東からの避難者が多い。福島からは常時150人ぐらいが生活している。しかし石垣も安全ではない。汚染されたものがどんどん入ってくる。それを放置したままだったらどこへ避難してもむだ、汚染されたものを流通させない仕組みが必要」なるほど、その通りです。
終了後は300人を越す参加者がバスにのって温泉旅館へ移動。みっちりつめこんだ一日目、全国各地からの参加者の発言したい思いはきっと交流会で炸裂したことでしょう。それができずに帰りの新幹線に向かう私はせめても…と、コラッセ一階の物産店で先日に利き酒会で頂いた会津のお酒ワンカップを2個買って帰るのでした。