November 06, 2012

県民集会の後、仮設へ

4日
「第8回憲法をいかす県民集会」は石川町で開催、呼びかけ人代表の5人の一人として参加。ここはいわきに住んでいた頃良く呼んでもらった文化的な事業に力を入れている町で人口17600人、線量は低い。朝7時に出て9時半に会場に到着。平和フォーラム主催で参加者は高齢者が多く、おなじみの皆さんだ。なんとか若い人たちを呼べないものかと壇上からしみじみ。
 地元の代表の藤野さんは県立福島医科大学で憲法学教授を務めている。「首相官邸前のデモに参加した際『ノーモア・フクシマ』のプラカードに接し息苦しさを思えた『ノーモア・ヒロシマ』『ノーモア・ナガサキ』に対してはなんの疑問も感じることなく、自ら使用し、みてきたにもかかわらず」これを聞いて思った。
常円寺のつるりん和尚こと阿部光裕さんが、昨年の秋の段階で「福島は汚れを受け入れなければならない」といったこと。犠牲を強いられている福島が「汚れ」まで!?とその時は思ったが、一年が経って。理不尽を受け入れ、坦々とやるべきことやり続けるということではないか、阿部さんの活躍を重ねて、腑に落ちた。闘いは坦々と日常生活の一部のように…。阿部さんはさきを見ている。むのたけじさんの「平和運動は特別にやることではない、生活の中から」を思い出した。

 終了後、郡山の降矢さんの案内で、郡山富田町の富岡町仮設住宅(150戸)に。急遽高橋哲哉さんも同行することになった。集会所「おたがいさま」は広くて綺麗でFMのスタジオまである。「ここができて皆がちょくちょく顔を出すようになってよかった」と自治会長の角さん、85歳には見えないほど矍鑠をしておいでだ。夜ノ森の桜で有名なところにお住まいだった。「家の中が雨漏りもしていてあまりにひどく、一回戻ってがっかり、もう行きたくない」。
仮設の良いところは「買い物、病院が近い」悪い面は「気候が違い、強風と寒さがつらい」とのこと。角さんの仮設を拝見、真っ先にできたここの仮設は文字通り「急場しのぎ」で収納なしのワンルーム。その後、追い炊きにしてもらい、物置も設置。1年2年の予定が今はとりあえず5年になった。はたして5年持つのかしら。



 もう一箇所、大玉村の冨岡の仮設(400戸)にも足をのばす。安達太良おろしが吹き雪がつもる静かな山間にあった。全戸埋まらず、取り壊しの最中。いわきへ持って行ってまた建てるのだそうだ。
 日曜日の午後5時前、出張所に灯りが。中にいた男性が話してくれた「自分はもう戻れないと思う。第一仕事がない。線量で区割りをして5年後に帰還可能な場所に戻ると言う人たちがいるが、その為には少なくとも2年前ぐらいからインフラを整えねばならない。学校、スーパーも。それができるのか。自分は大玉でも仕事があれば就職したいと考える。早く、はっきりしてほしい」
なにも決まらない状況が長引けば長引くほど、気持ちが萎えると言うもの、それをまっている輩がいるのだから、始末が悪い。そんななかで自治会を立ち上げ、高齢者達が声を掛け合って踏ん張っている、役場の向かいにすむ95歳の女性は元気一杯で料理に励んでは人に分けたりと皆さんの先頭にたって活動していると聞いて、浜の女のたくましさをかいま見た気がした。