November 27, 2012

第7回講談サロン発表会

25日 「第7回講談サロン香織倶楽部発表会」無事終了。
皆さん力をつけてきてたっぷりの演目がそろったため最長20分と時間制限をしたのがおもわぬ効果を発揮したか!?時間を計りながら繰り返し稽古をすることにより
結果として、余分なところが省略され、リズムが出ていい出来になる、
私も、出演者も、お客さんも喜ぶ。三方めでたし!
約3時間となが〜い時間にも関わらず、大いに笑ってもらえ、常連のお客さん曰く
「プロなみだね、皆上手くなっている!」(笑)
26日は生憎の雨、飛び入りで「宇都宮さんを応援する南部集会」で15分話をした。
昨日北区の田尻さんから届いたメール、小学生の子2人と一緒に受けた甲状腺検査の結果、全員に膿疱が見つかった事を報告。「東京でも‼」と皆さん大ショック。関東の子どもたちも検査を!その為にも宇都宮さんでなきゃ!



November 24, 2012

「フタバから遠く離れて」

24日ドキュメンタリー「フタバから遠く離れて」(船橋淳監督)の上映会、きょうで閉館となる谷中コミュニティセンターで観た。双葉町の町役場ごと避難している先日訪ねた旧騎西高校の校舎。いまだに160人もの被災者の皆さんが教室で寝泊まりしていて、お弁当の毎日が一年8ヶ月も続いている。その避難生活を強いられている彼らの日常を坦々と移す。彼らの日常を自分のこととして追体験してほしいと監督はいう。
「テレビが報告する避難者の生活はまとめていて心に響かない。痛み、感情を伝えるのが映画」と船橋さん。私の新作の講談で表現していることとまったく違わない。
 一時帰宅で津波で家を流されコンクリートの土台だけが残った中井さん、亡き母に花を捧げ、急いで線量の高いその場所から逃げるように去る、父親に水に触るな、瓦礫にさわるなと注意しながら。これが防護服をきて一時帰宅で彼らが目にした現実、心から残酷だと思う。
 上映後、監督と旧騎西高校にすむ北村さんと借り上げ住宅で港区にすむ亀谷さんが話を聞かせてくれた。
亀谷さんはいう「自分がなじんだ景色とは全然違ってしまった。一時帰宅するときバスの窓から道路工事の人たちがガスマスクをして作業しているみて心底驚いた」浜松町にすむ亀谷さんははじめの一ヶ月は毎日泣いて暮らした。一番辛いのは地域に慣れず、会話をする人がいないこと。しかし、今は頑張るしかない。故郷へ帰りたい、帰れなくても、帰りたい!と訴える。
 彼女はテレビで官邸前のデモをみて、東京の人たちがこんなにやっているんだから自分もと参加するようになったそうだ。そしてマイクをもって訴えている、デモをしてもどんなに訴えても政府には繋がらない。政治家は一週間で良いから仮設住宅に住め。借り上げ住宅から退去する時期がきても行く場所がない。賠償と保障をはっきりしてほしい。と懸命に話してくれた。


November 23, 2012

小豆島へ

 今年の2月、松山市での「脱原発1000万署名」集会の時に声をかけてもらった11月23日の護憲香川県連合「憲法講座」。前日に小豆島観光したいと申し出て、楽しみにしていたこの仕事。まさか解散総選挙となってしまうとは!
 前日にたまった仕事をやっつけて、やってきました小豆島。
平和労組の廣瀬さんと私を迎えてくれたのは小豆島町議の森崇さん恭子さんご夫妻。なんとご夫妻はもと島バスの運転手とバスガイド。流れるようなガイドぶりで、寒霞渓、二十四の瞳映画村、オリーブ公園を案内してもらう。寒霞渓の紅葉は丁度見頃で、観光バスが何台も。切り立った岩、紅葉の絨毯、選挙騒動を一時忘れ、幽玄の世界を堪能!映画村も昭和初期にワープしたようで充分に楽しめた。夜は野菜たっぷりの家庭料理、地元の刺身も美味しかった。お店の従業員なにげに「福島の人たちは沢山お金もらってたんでしょ」ふ原発立地の8町村はもらっていたが、その他は…。紅葉をみても、食事をしても、ふと、故郷に思いを馳せる私がいる。
あの見事な会津地方の紅葉は汚染大丈夫?浜通りのさかないつになったら…。

 23日、午前10時からの講座で、まずこの思いを話す、そして命をかけて香川を守ってとお願いした。福島の現状、自主避難の苦労、仮設住宅での声など報告。特にこどもの避難については、旧ソ連でできたことがなぜできない!と興奮してしまった。その後は「講談で感性に訴える原爆、原発、基地問題」のテーマにそって、「はだしのゲン」「チェルノブイリの祈り」「哀しみの母子像」の抜き読みをいれながら話をすすめ最後はさあ〜、選挙だ、声をだそうと皆さんと例の声だし。終了後はみなさん、候補者の事務所開きの会場へ。私は空港へ森さんご夫妻はじめ香川のみなさん、いい思い出となりました。

November 21, 2012

宇都宮健児さん応援メッセージ

21日、猪瀬氏出馬表明。石原氏が太鼓判を押したのだからこれは絶対だめでしょう?。私から宇都宮健児さんへの応援メッセージです。
「記憶は弱者にあり」今はなきマルセ太郎さんの言葉です。そして私の講談のテーマです。13年半、傲慢な石原氏の言動にときに怒り、ときに赤面しながら私たちは耐えてきました。
尖閣諸島騒動の火付け役石原は「若いやつがふがいないから」と恫喝しながらしっぽをまいて国政に逃げ道を見いだし、都政を放り出したのです。
あげくに「原発事故、消費税はささいな事」といい放ち、私の故郷の福島の人たちの傷口に塩を塗り込むような仕打ち。
それにあきたらず「核兵器を持とう」発言、それを持ち上げる太鼓持ちの大手メディア。私たちはどこまでこの屈辱に耐えなければならないのでしょう…。
しかし、今ここに一筋の光が見えてきました。うつけんこと宇都宮健児さんの登場です。
永年貧困問題にとりくみ、理不尽な目にあっている人たちに徹底的によりそう血の通った都政は宇都宮さんしかできない。
宇都宮さんを都知事にする、その一点で私たちは燃え上がり繋がり合えるのです。
やあ、やあ、われこそは強きをくじき、弱きをたすけるうつけんなり〜、
みんなで元気に応援しましょう!



November 19, 2012

虎の尾を踏み毒蛇の

 14日、織丸さんの個人レッスンの後、思い立って前から訪ねたかった埼玉・旧騎西高校へ。ここは双葉町町民が役場ごと避難している。1年7か月たった今も約180人も暮らしている。ホールの一角にソファーやテーブルが置かれて、避難者のみなさんがくつろぐ空間がオープンしたのは10月のこと。東京新聞の記事をよみ関心があったカフェの名前は「珠寿」。テーブルの上にはお菓子やふかしいも。お茶が振る舞われるがサービス。
今はアパートに住んでいる女性に話を聞くことができた。郡山に住む26歳の娘は彼の両親結婚に反対したため、長年つきあった恋人と分かれたと言う。双葉町の家は「中で0,3μ、草野上で20μ。帰れない。仮の町作ったって帰りたくない。県民を戻したがっている県のやり方がいやだ」「県からも国からも私らは見捨てられた、モルモットなんだ」と坦々と話す。ほんとにフクシマをほったらかしにして、よくも解散などと。
 そして16日、自称「バカ正直故に解散する」って。たしかに野田首相は大変正直者でした。財務官僚に対して。双葉町の彼女をはじめとして多くの避難者、「脱原発」を求める国民の要求、願望、叫びをこれほど無視した方は始めてでは?あの小泉さんだって「聞く振り」はした。
第3極といわれる有象無象の政党の体制が整う前に。「国民の生活が第一」の小沢さんの無罪確定前に。
 16日解散の夜、私は琵琶の会に行った。奥村旭翠さんの演奏と語りはそれはお見事で、いにしえの源平の戦いが鮮やかに甦る。翻ってこの総選挙の醜さよ。増税、原発再稼働などで国民を裏切り、その上クリスマスを、大掃除を、正月の準備までも。暮れの貴重な時間をうばって国民に迷惑をかけ、野田民主党はどこまで落ち延びる?「あたか」の最後、義経、弁慶が陸奥をめざす「虎の尾を踏み毒蛇の、口を遁れて九十九折、陸奥さしてぞ下りける、陸奥さしてぞ下りける」じゃないが、野田さんよ、とことん落ちるだろうが、まちがっても陸奥へ落ちてくるなよ。