August 27, 2012

夏の仕事納めは「チェルノブイリの祈り」

20日、第18回「子どもと健康」研究フォーラムの記念講演で午前10時から一ツ橋ホールで「チェルノブイリの祈り」。養護教諭の皆さん、さすがにこどもの未来をうれい?目に涙をうかべて話しかけてくれる。Tシャツも沢山買ってもらった。こどもの健康、これからは実に大きなテーマになると確信する。
22日今夏、最後の大仕事は真宗大谷派・9条の会大垣にて。講談、チェルノブイリと集客がむずかしいテーマにも関わらず、各寺のみなさん頑張ってくれて大勢きて下さった。スイトピア音楽堂はさすがに音響が抜群、気持ちよく語らせてもらい、無事、夏の仕事納め。打ち上げも若い皆さんとともに大変楽しく、また美味しく。主催者代表の佐竹さんのことばが忘れられない。福島の親子さんがお寺にホームステイされたそうだ、その際、「色白のお子さんですね」といったら「外遊びが充分にできないのですよ」と。園児達、室内遊びがおおく外遊びはわずか…。いまだにそのような生活をしている福島の子ども達。果たしていっとき大垣で自由に外遊びしても、戻れば…。福島の子どもたちに寄り添ってくれる、それだけで私はうれしさで胸がいっぱいになるのだ。
大垣のみなさん、これからもともに福島支援、繋がって行きましょう。



August 22, 2012

狛江平和フェスタに

19日、狛江平和フェスタ2012に呼んでもらう。
昔、ビーフリーという小劇場があったとき、ときどき通った懐かしい狛江だ。
市民と行政が一緒に関わっていて今年で8年目とか。まず、子ども達のダンス。平和宣言朗読劇。合唱、相馬から避難している方のメッセージ、写真家で作家の穂高健一さんの話。そしてヴァイオリンとフルートの演奏、太鼓、講談「はだしのゲン」(後半)と、4時間も。楽屋で聞いた穂高健一さんの話にハッとさせられた。「奇跡の一本松、他の6万本もの松はどうなったか。巨木たちは凶器となった。家を破壊し、人間を傷つけ、遺体は見る影もなかった…」「奇跡の一本松」の美談も角度をかえると別の景色が見えてくる、うかつだった。実行委員のみなさんの情熱は年々参加者増加に繋がっていると言う、これからも楽しみな狛江平和フェスタ、メッセージTシャツもなんと35枚も売れました!実行委員のみなさん、ありがとうございました。



August 14, 2012

ローズホテル、そして常円寺

9日
機材車が高速道路でタイヤがバースト破裂、とスタッフから連絡が入ったのは湘南ラインで横浜に向かっている午前8時半のこと。まず、怪我がなくてよかった。
横浜は中華街のローズホテル「第59回関東地区母と女性教職員の会」の全体会での講演と講談。挨拶で、35年前の米軍ジェット機墜落の「哀しみの母子像」の紹介をしただけでも、相当の方が涙をこらえきれずに。「はだしのゲン」も原爆音こそなかったが、600人もの皆さんほんとによく泣きながら聞いてくれた。これからは女性の時代だな〜とつくづく思った一日。昼食の中華料理も美味しくて、つい生ビールを(笑)
11日
私たちの団体NPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の最初のイベントに出演してもらった福島市、常円寺の阿部光裕さんの「つるりん学校」に講師として呼んでもらう。演目は「フラガール物語」。午前中に福島駅へ。お昼のラジオ番組に生出演させてもらって、お寺へ。3月にも案内してもらった裏山の「仮設汚染土置き場」、5ヶ月で倍ぐらいに増えている。特注のドラム缶の上に線量が書いてある。10μとか、とにかく高い。控え室の離れ0.5μ。

夕方、心配された雨ももちそう。ご本堂での講談は独特の雰囲気。大勢の檀家さんの席は前方は境内のテント、斜め前にも、横にも後ろにも。講談終了後は厳かな万灯供養。数多のろうそくの火、太鼓、読経の声…。ふと思った。原発事故から1年と5ヶ月の今日、私ははじめて心静かに亡き人々への供養の時を得たのではないか、と。私の身内は無事だったが、いまだに遺体さえみつからない方々の胸中を思うとこみ上げるものがある。二度と福島の悲劇を繰り返してはいけない、その為になにができるか…。



August 10, 2012

8.6、中沢啓治さんと!

8月6日
広島YMCA国際文化ホールでの「8,6ヒロシマ平和の夕べ」は私にとって、記念すべき一日となった。まず、「種まきジャーナル」でおなじみの小出裕章助教をナマで見た(笑)。なんと言っても感動的だったのは、今から27年前に私に「はだしのゲン」の講談化を快諾、その後も応援してくれた中沢啓治先生が奥さんと一緒に会場にきてくれて「はだしのゲン」後半を聴いてくれた。はじめてお会いしたときはまだ50代だった中沢さんももう75歳。あの時許可してもらわなかったら、今の私は存在しない。「チェルノブイリの祈り」も語っていないだろう。中沢さん、心より感謝申し上げます、今後も「核兵器、原発」をなくすため踏ん張ります!


打ち上げでは、小出さんともゆっくり話せたし、被爆の語り部、米澤鐵志さんとも再会できて、実り多い一日でした。実行委員の皆様、お疲れさまでした。


7日
きょうもこれでもか!という暑さ。昼は福島から保養にきている子ども達を神田山荘に訪ね、1時間ほど講談ワークショップ。暑い福島から、またまた暑い広島へ。そして昨日は平和記念式典にも参加したというから、そうとうハードスケジュールだ。
引率のNPO「シャローム」の吉野さんいわく「線量の高いところに住んでいてきゅうに空気の綺麗なところへ来ると体がだるくなる」そうで、たしかに見るからにしんどそうな子どもさんもいる。言葉がない。春秋の気候のいい時期に保養にきてもらいたいのだが、と現地のボランティアの皆さん。たしかに北海道以外、どこへ行っても暑い夏休み。クラス単位で保養するとか、なんとかならないだろうか…。
 夕方からの東区民文化センタースタジオでの「シルエットロマンスを聞きながら」は人数こそ少なかったが、みなさん泣きながら聞いてくれてすごい一体感!林眞須美さんの最近の「青空通信」の一文を最後に読んだら、もう私までグッときてしまった。「ドイツに伝説がある。騎士ルドルフが恋人のために花を摘もうとして誤って川に流されてしまう。最後の力を尽くして花を岸になげ「フェアギスマイン二ヒト(私を忘れないで)」これがわすれな草の花の名となった。外の皆さん、私を忘れないで!再審無罪という一縷の望みを持ち過ごしている私のことをこれからお忘れないで!」
14年前、ワイド番組で散々いやな女のイメージがついてしまったが、自白もなければ証拠は何もない。安田好弘弁護士の「死刑弁護人」を見て、えん罪と思う人は増えている、再審開始も夢ではないのでは!?


August 05, 2012

17年ぶりの堺、いずみ親子劇場

阪神淡路大震災の前年の9月に、私と子ども達はいわきに居を移した。
翌年過労から肺炎になりふせっていた1月、阪神大震災が発生、その惨状に寝ている場合ではないと自分を叱咤したのを思い出す。
その年の4月にボランティアの一座に参加し慰問公演へ。そのとき、宿泊などで世話してくれたのがいずみ親子劇場の皆さんだった。その劇場さんが4日「防災講談浜口梧陵伝」と「福島報告」を企画してくれました。今回、はじめても試みで4月に警戒区域解除となった原町の小高区に入ったときの写真をみながら報告。

17年前にタイムスリップした感じ?懐かしい皆様、支援Tシャツ30枚も販売してくれ、ほんとにありがとうございました!

 それにしても、オリンピックすごいことになっている、競泳もメダルラッシュ、サッカーは男女とも4位以内!バドミントン、アーチェリーと大活躍。若手が銅メダルを沢山取っている、すごい。金は守るのみ。銅は先がある、どんどんとってほしい!