July 30, 2012

29日は福島と国会包囲

29日
一泊二日の合宿で詩を作り発表する「詩の寺子屋夏講座」。指導するは、原発事故への不安、憤りをツイッターでつぶやきいちやく有名になった高校の国語教師、和合亮一さん。11時前に福島駅着。会場の福島県立図書館は木立に囲まれりっぱな建物。仕事柄か、すぐに線量が気になってしまう…。
さあ、発表会。小学校低学年から中学生までテーマは「自分らしく生きる」。こどもさんたちの緊張感が伝わってきてこちらもでどきどきしてしまう。皆さん、実にどうどうと、心をこめて朗読。震災から一年4ヶ月、こどもたちは懸命に今を生きている…。理不尽さをかかえながらどこかで折り合いをつけながら…時に怒りながら、そんな自分をいとおしく思いながら。
 たとえば小5の女子の「地球へ」「私はこの地球が光り輝くこと願います。私は暗くにごった現実を生きています。わたしは今その現実を壊すため生きることを誓います。そのために緑を守ります。友達をつくります。ふるさとを大切にします。私にできることをやります」
 「詩」「言葉」は非日常に輝きを放つのだろうか。マルセさんの言葉を思い出す「記憶は弱者にあり」「5歳のこどもも50歳のおとなも悩みの大きさは同じ」こどもたちが小さな哲学者に思えた。


 終了後は福島から「国会包囲」すべく東京駅へ直行。タクシーの運転手に「参議院会館へ」といったら「きょうはデモがすごくて、大丈夫かな」車道はすいすいと情報があり、ほんとにすいすい到着。「神田香織一門」の旗がめだつからすぐに仲間たちと合流できた。旗をみて何人かが声をかけてくれた。小さい子どもたちも手に灯りをともして歩いている。幼児を肩車してる参加者も。私たちの場所は混乱もなく、無事終了したが国会議事堂前は車道が解放されとても盛り上がっていたようだ。きょうも10万人以上の人々が全国から集まっている。そして私も「私にできることをやります」だ!


July 28, 2012

27日は松本と立川で

27日。
松本少年刑務所「少年母の会」に呼んでもらい、猛暑の中、前日のうちに松本着。老舗の旅館「菊之湯」で丸山さんと母の会の会長さんと会食。温泉につかり久しぶりにくつろぐことができた。旭町中学校桐分校、2年前「塀の中の中学校」というタイトルでドラマ化され、名優たちが出演していて私も面白く観た記憶がある。その生徒さんたちによる合唱発表の午前9時50分から会場の体育館に入って聞かせてもらった。「か〜さんが夜なべをして〜」最近とんと聞く機会のない「母さんの歌」と「フォーエバー」の2曲を坊主頭でスラリとした灰色のズボン姿の11人の青年たちが心を込めて歌ってくれた。母の会の会員の皆さん、涙ぐんでいる方も。戦後まもなく、義務教育を受けていなくて、勉強したいとねがう受刑者たちのためにつくられた桐分校。生徒さんに年齢制限はない。今や日本人はほとんど義務教育を受けていて、11人の内、外国人が8人とのことだ。3年間の勉強を一年でやるのだから結構大変かも?少年刑務所は26歳の誕生日を迎えると他所へいく。今、308人の受刑者たちが作業をしながら過ごしているとのこと。「少年母の会」は地域ぐるみで「少年」たちを見守ろうと59年に創立されたそうです。
体育館での講演の後、所長さんが教室や作業所も案内してくれた。車の修理場もある。資格もとれるそうだ。木彫りの部屋は整然としていて掘りかけのフクロウや鷲などが棚においてあった。

写真は分校の教室きれい!狸のほりもの。
塀のすぐ外では販売店があり、そこでは全国の刑務所の受刑者たちの手作り品が沢山。私はサンダル、便せん、ランチョンマットなどを記念に求めて、少年刑務所を出た若者が差別されることなく社会復帰できる世の中を切望しつつ、帰りのスーパーあずさに乗り込んだ。
 そして、立川着、ものすごい暑さに一瞬、うっ、まるでサウナ(笑)立川市民会館小ホールで「チェルノブイリの祈り」公演。主催の三多摩平和運動センターは33年前から月一回の「反核座り込み」を続け、それがなんと400回!以前にも「はだしのゲン」や「哀しみの母子像」「チェルノブイリの祈り」でツアーを組んでもらったこともある。まさに「継続は力なり」を実感した一日でした。

July 23, 2012

オスプレイに反対する理由

ここ数日涼しくて一息ついたがきょうからまた暑くなるそうだ。
そして間違いなく熱くなった。さきほどオスプレイが日本に上陸したのだ。私も心から反対する一人。そのわけは講談「哀しみの母子像」だ。35年前横浜緑区に墜落した米軍ジェット機、幼い男の子2人が亡くなった。その事を知らされないまま激痛の皮膚移植に耐えた母親。やがて子どもたちの死を知ることになる。絶望しながらも皮膚をくれた人たちのためにもと歯を食いしばって治療にたえ、そして「死」につながる「自立」の為のリハビリがはじまり…。講談本「乱世を生き抜く語り口を持て」(インパクト出版会」を読んで電車の中で号泣した人もいるほどだ。そして、2年前の秋にたずねた沖縄を思い出す。(2010年11月のブログから)
「宮森小学校の元教師の豊濱光輝さんの話を聞きに行く。豊濱さんは51年前ジェット機が墜落して、民間人6人と小学生11人が犠牲になった「石川・宮森小学校ジェット機墜落事故の証言集に昨年から取りかかっている。「事故を語ることができる迄50年の歳月が必要だった」25歳の国語の教師だった彼は長いこと遺族恐怖症だったという。「1300人の生徒がいるのになぜうちの子が」「先生が生きていてなぜ子どもが死んだ」…。約2時間に及ぶ取材では涙なしには聞けない貴重な記憶の数々だった。豊濱さんは宮森小までご案内してくれ当時の小学校の様子など、解説をしてくれた。「今、なぜ宮森?と聞かれるが、宮森じゃない、問題なのは米軍ジェット機墜落事故なのだ」。
宮森小も横浜緑区ジェット機墜落も、基地がある為に事故でなくなった方々の無念の声が聞こえる、そしてまたその悲劇を繰り返そうとしている。
米軍基地はいったい誰を守っているのか!

 そしてきょうは長女の25歳の誕生日。おめでとう!
あの日、都内は36度という猛暑で、森田さんと、セツ子さんが病院にお祝いにきてくれたっけ。セツ子さんの「こんなに整った顔のかわいい赤ちゃん見たことがない」といって喜ばしてくれた言葉はわすれない。あれから25年。日本は激変した。そして娘は聡明でチャーミングな大人になった。こんな世の中になってしまったけど、智恵をめぐらせて生き抜いておくれ!


July 21, 2012

官邸前、旗だけ参加

20日の官邸前、おそらく16日の更なる勢いできょうは最高の人出になるでしょう。
私はダブルヘッダーで、参加できず。
 昼は明治大学の総合講座「伝統芸能に学ぶプレゼーテーションの技」浪曲、落語など実演もあり人気の講座だそうだ。立ち高座で、とお願いしたら、普通の釈台がセットしてあってその下が凄く高い。前にたって叩くにはちょうどいいけど、見た目はちょいと…変でした。「チェルノブイリ」の抜き読みではすすり泣きも聞こえた。やはり…学生さんたち、敏感だ。
 
浜町へ移動し、雨の中を浜町会館へ。「司法9条の会」で「チェルノブイリを語って、今古里フクシマを考える」を1時間半。前説で16日の第一ステージの乱入者の楽屋話、参加された方が多かったので、笑いながら聞いて下さった。打ち上げではロシア人の通訳のセルゲイさんが、私の講談をロシアで語りたいとか、面白そう!
夜、仲間から連絡が。官邸前で「神田香織一門」の旗を掲げたところ、「香織さんは来るのか」と数人から声かけられたとか。17万人集会で少しは名前が知られたかも(笑)



July 18, 2012

7,16、今までで一番あつい日に!

「さよなら原発10万人集会」。33度という猛暑の中、なんと全国各地から17万人も参加してすごい盛り上がり。もう「脱原発」の動きは誰にも止められない「原発の息の根を止める」歴史的な一日となりました。司会の大役を仰せつかった私、1時間半前にむかったにも関わらず、代々木公園のそばの歩道にはすでに大勢の参加者が会場に向かってはびっしり。特設ステージ裏のテントには早々と中島さんと広瀬さんが。風がふきぬけ、紙類は空を舞うし、髪の毛も乱れるし、ただならぬ一日の幕開けにふさわしい楽屋裏。とみれば、モヒカン狩りの女性、タンクトップ姿で、サインをお願いしたり皆さんにご挨拶、原稿を書いている大江さんにうるさく話かえ、注意されると逆切れ「ノーベル賞作家だと思って尊敬してたのにもう嫌いになった」と騒ぎまくる。出演するバンドの関係者とばかり思っていたが、全く関係ない方だったのです!
さあ、いよいよ始まり。私がいわき弁で「野田首相、再稼働再稼働ってばかにすんでねえ、このいんごたがり〜」と挨拶して振り向くと呼びかけ人の登壇者にまざって、あぐらをかいてステージ上にいるではないか。
舞台監督の大久保さんに聞くと、近づくと「セクハラっ言われて」とのこと。鎌田慧さん、坂本龍一さん、大江健三郎さん、内橋克人さん、澤地久枝さん、落合恵子さん、そして90歳の瀬戸内寂聴さんたちの叫びのような熱いメッセージが青空に響く中、モヒカンの女性は立ち上がったり手を振ったり。ついには寂聴さんのとなりにぴったりと。
最後の武藤類子さんの紹介をしているすきに、マイクに飛びつき、なんと3分間もマイクジャック。関係者が急いでマイクを切ったが。この騒ぎに類子さんすこしも慌てず、心にしみるメッセージを。なんとも感動的な、すごい一日でした。私は10万人以上の皆様を間にあたりにして、なんどもなんども涙が込み上げて…。
ハプニングはあったけど、生涯忘れられない一日になりました。全国から参加の皆様、ほんとうにお疲れさまでした!と同時に警備の重要さを再認識した一日でもありました…。





フェースブックからの皆さんの声
「神田香織さん、昨日は本当にご苦労様でした。ステージに向かって左手の近くから神田さんの雄姿を見上げていました。17万人のエネルギーを受け止め結集させた歴史に残る名司会だと感じました。昨晩、そのことを含めて私のフェイスブックにも書きました。ゆっくり休んで下さい。本当にお疲れさま。」

「7.16.「さようなら原発10万人集会」のハプニング。呼びかけ人でもないヘンな女性が、いきなり、マイクをとって、何か分らぬことをしゃべりだした。「枝野さんは決して原発推進者ではない。」とか。会場のブーイングに、架台を蹴飛ばし、マイクを倒して罵声を残して退場。その時、司会の神田香織さん、少しも動ぜず「ハプニングはありましたけど、兎に角一生懸命の人がいるということです。」と乱入者をもかばう、この度量、さすがは一流の講談師、お弟子さんたち、立派な師匠をもって幸せだね!(だけど、この女性、しばらく前から呼びかけ人の席に並んで座ってた。主催者は何をやっていたのだろう?まさか”やらせ”ではないだろうね〜)」

やらせじゃないですよ〜(笑)。他にも「最後のあっ、あっ、あの発声の後、再稼働反対ってやってほしかった」というのも。それはそうですね、次回から必ず。
ぐっと来るメッセージを多々いただき、この場をかりてお礼申し上げます〜。