February 29, 2012

中野縁が輪市と外かんだ勉強会

26日外かんだ勉強会
いつも講談サロンを開催している本郷文化フォーラムがリニューアル。高座を組んで照明もあて、「外かんだ勉強会」。山梨から参加のスカイプ講談教室の住江織手さん、自作の着物と帯、なんとまあすごい方です。「バナナの叩き売り」の他に「外郎売り」も披露。つづくメンバーも個性豊かに、観客、といっても20人ぐらい?を楽しませてくれました。
映像はこちら。

25(土)は新井薬師の梅照院、縁が輪市へ。4回目をむかえる東北復興支援のこの市は内容が盛り沢山。まずは10時過ぎからミニシンポジウム。「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の郡司理事がパネラーとして出演。続いてオリーブ挿し木のワークショップ。こちらには薄井理事も参加。私はその間、2階の和室で檜枝岐歌舞伎を中学生たちが演じるドキュメント「やるべえや」を観た。その昔、お伊勢参りに村の代表ででかけた人が歌舞伎を観て、「おれほうでも、やるべえ〜」と。以後代々村人の手によって継承されている。文化祭で演じるため村の中学生たちが取り組んでいく…。



その後はメインホールでの会津親善大使による「白虎隊」、実にさわやかな「白虎隊」でした。明大付属中野中・高音楽部の弦楽演奏、これもお見事。つづいて、いわきの松崎康弘さん(オリーブプロジェクト代表)のギター演奏と
中野の商店街からと東北からの産品、飲食も楽しみつつ、中野と東北の輪は繋がっているなあと実感。ロシアやチリ産のウニだけど、いわきのウニの貝焼、それなりに?美味しかった。



February 20, 2012

脱原発・有象無象デモ

19日昨日は晴天のもと、脱原発杉並デモ、東高円寺から阿佐ヶ谷まで大変たのしいパレードに参加。銭湯はフォークダンス隊、キッズ隊、カラオケ隊、ヘビメタあり、ちゃりんこで動かすステージあり演奏あり。世田谷区長も挨拶に。杉並区長は?

お酒もある屋台もありでなんでもあり。なんと共産党と社民党と新社会党ののぼりがいっしょに風に舞っていた〜!


警備の、すごい数のおまわりさんたちがあたふたしながら走り回っていました(笑)私たちは「神田香織一門香織倶楽部」のオレンジののぼり旗のもと、にぎやかなカラオケ隊について歩きました。
講談サロンの織福さんもステージに登場。スナックで歌うと嫌な顔される「東京砂漠」の替え歌「東京被曝」を披露、その声のよさと、歌詞の中身、講談サロンの宣伝もして、大受け。
いっしょに歩いていた方が声をかけてくれ(FBですでに友人)26日の織福さんの発表会に来てくれることに。終了後、何十年ぶりでフォークダンスを踊り楽しいのなんの。楽しさは後を引き、私たち4人はカラオケへ移動し、存分に歌ったのでありました。


February 19, 2012

「さよなら原発四国集会」

雪が心配されたがとてもいい天気、ホテルの窓からは松山城がくっきりみえた18日、男女共同参画センターまでキャリーバックをひきながら散歩がてら25分歩いて到着。16日に国会前ラン一を走り終えた昨日東京で報告集会を開いていた中野勇人さんが、飛行機の中でも走ってたのか?ほどなく会場へ。
郡山市議の滝田春菜さんの現地報告に、会場は水を打ったように聞き入る。私もなんどかため息が出た。除染を町内会に任せ、汚染土をどうするかで住民同士がいがみあう。避難した人、したくてもできない人たちの人たちとの軋轢、自然の中で戯れることもゆるされず、外遊びが3時間しかできないでまもなく一年をむかえる子どもたち。何より人間関係を分断して本当の敵が分からなくなっている無念さ。しみじみ伝わってきました。

 先週の12日、静岡で開催された東海ブロック集会で、秋田に移住した中田さんの話を思い出す。私が「チェルノブイリの祈り」の消防士が放射線障害で日々別人のように変わっていくワンシーンを語った後の中田さんの発言。爆発後、南相馬にボランティアに入った彼女はその後、甲状腺がはれて、腕の内側に水ぶくれができたと言う。程度の差こそあれ、あきらかに放射線障害の症状だ。彼女は元旦の地震で意を決して秋田へ引っ越した。「思い切って秋田へ引っ越し、こどもが外で遊ぶのをみて、これが普通の生活なんだ、移住してほんとによかった」仕事の心配等大変だろうが、まだ若い中田さん、頑張ってほしいと心から思った。

1000万署名まであと500万、目標に向かって心を一つにした松山での集会の後、滝田さんから話しを聞きながら東京へ。「被爆者援護法」いわきでは議会で決議された郡山ではうまくいってないという。徐々に放射能の話題は敬遠され、何事もなかったかのように生活しようとしている…。滝田さん、ぜひ情報発信して!とツイッターを薦めて、東京駅から新幹線に乗り換える彼女を見送った。


February 14, 2012

いのちを守る福島サミット(11日)


11日福島駅に隣接する「コラッセ・ふくしま」で開催の「放射能からいのちを守る全国サミット」に参加。
夏休み等に保養地として家を利用してほしいと、「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の湘南、花巻市、京都、奈良の会員さんたちが申し出てくれた。数日でも高線量の地から離れると子どもたちの細胞がリフレッシュできるのです。
サミットは11、12日開催され一日目は避難者受け入れの事例紹介と午後は分科会、そして分科会のまとめ発表。2日目が全国の支援団体と被災者・避難者支援の相談会。2日目で具体的に決まるのだけど私は1日目しか出席できず。
分科会は「保養プログラム」に参加し、相談しようと思ったが、あらかじめ決められた事例報告で終始。で終了後司会の方に相談したところ「震災直後と違って今は落ち着いている。子どもネットにメールで書き込めるのでそこへ登録しては」とアドバイスをいただいた。アドバイスを活かし、かつ、連絡があることを祈りつつ、会員さんからの物件コピーをチラシコーナーに置く。

一日目の報告は盛り沢山、避難された人たちの生の声、受け入れ先の工夫等大変参考になった。
まずは主催者の挨拶、佐藤幸子さん「避難を呼びかけようと思った矢先に県が「100ミリまで安全」キャンペーン。それを信じて多くの県民が動かなくなってしまった」。避難生活を送る女性「なにげない普通の生活を大切にしてください。私たちはそれができなくなりました」16万人が県内外に避難し、内6万人が県外で生活をしている現実がある。

事例報告として受け入れに積極的な北海道は札幌(むすびば)から。(むすびば)は昨年の3月16日にできて、雇用促進住宅に沢山の避難者が住んでいる。(約150世帯500人)お茶会から自治会へ。そこに保育施設も作った。イベントや地域との連携して一緒に行動。自主避難した人たちが活発に動いていて、いつでも受け入れている。なるほど会場のキルト作品に思いが込められていた。受け入れに積極的な北海道に感謝。


関東の避難母子の会は31家族の会員で6月11日に立ち上げた。品川に拠点があり、私もテーブルを提供させてもらった。月に一度集まって情報収集している。利点は仲間と語りストレスの軽減、正確な情報。会員同士の交流など。3月には国連に2人派遣し、都立高校への講演も予定、こどもたちに福島の現実を知ってもらう貴重な取り組み、ぜひ語り部として継続、拡散してほしいと願う。そういえば国鉄闘争団もお母さんたちが語り部となって支援の輪を広げていったっけ…。
大阪からは街づくり支援協会。阪神大震災のとき発足。年寄りたちがひと月事に約5回ぐらい引っ越しをして、やがて連絡がとだえてしまうケースが多かったそうだ。避難者が生活の場を自ら築く。雇用をつくり、ソーラー利用で年寄りも子どもも住める賃貸住宅「カントリーファーム」(参加型街づくり)が奈良県にできると言う。
京都も3月16日には福島県に現地連絡所をつくり460世帯1300人以上受け入れている。関西は阪神大震災の体験があるから積極的でノウハウもあり、分科会でも驚いたが自然にお互いの連携ができている。この「おせっかい」精神、関東等おおいに見習いたい。
分科会は予定数をはるかに上回り立ったままの参加者多数。先ほども書いたように発言の機会がほとんどないなか、無理矢理のように立ち上がった私の隣の沖縄の方「石垣島には神奈川、埼玉、千葉、東京など関東からの避難者が多い。福島からは常時150人ぐらいが生活している。しかし石垣も安全ではない。汚染されたものがどんどん入ってくる。それを放置したままだったらどこへ避難してもむだ、汚染されたものを流通させない仕組みが必要」なるほど、その通りです。
終了後は300人を越す参加者がバスにのって温泉旅館へ移動。みっちりつめこんだ一日目、全国各地からの参加者の発言したい思いはきっと交流会で炸裂したことでしょう。それができずに帰りの新幹線に向かう私はせめても…と、コラッセ一階の物産店で先日に利き酒会で頂いた会津のお酒ワンカップを2個買って帰るのでした。


February 10, 2012

利き酒会(8日)と国会前ラン(10日)


2月10(金)国鉄闘争は昨年の6月で一応の解決はみたが、肝心のJR採用はゼロ。それって納得いかないと「走る男」中野勇人さんは一日50キロ。1047キロをめざし走り始めた。6日の中野さん激励会で10日に盧佳世さんといっしょに伴走?(歩)しようと話は決まり、午前11時に国会前へ。あいにく鼻の調子が悪くなってしまった佳世さんはパス。2周(約2,6キロ)ほど伴走して、疲れたよ〜。後は、ハンスト中の佐久間忠男さんの目線を気にもせず、差し入れのおにぎりやカステラやチョコをぱくぱく。これでは伴走ではなく伴食?情けない(笑)
 その後、死刑廃止フォーラムの「死刑映画週間」の「エロス+虐殺」をみたのだけど、長くて眠くて…。堂々といびきをかいている人がいたけど、誰も注意しない優しさよ。店内の集合写真は6(月)の歓迎会のものです。






2月8(水)福島の常円寺・つるりん和尚こと阿部光裕さん福島市のsakeba駄愚栖さん、都庁の有志が企画して、都庁の大食堂での「福島の蔵元を囲む利き酒会」に参加。軽く百人を超える人たちが集まり大変なにぎわい。そりゃそうです。福島中の(全部ではないけど)銘酒がそろったのですから。「福島のお酒がこんなに美味しいとは」とは私や周りの反応。とりあえずのビールがなくていきなり強い日本酒?とおもったけど、お水をチェイサーにしていただくと結構飲めました。それぞれの蔵元の説明を聞きながら頂くお酒のおいしいこと。日本酒の、特に福島のお酒のおいしさに目覚めた一夜でした。
被災地を飲んで支援!飲み助たちはみな母里太平になっていた!ツーショットは名倉山の社長さんと。もう一枚は福島の若き女性たちと駄愚栖のご主人夫妻。