August 04, 2011

釜石、大船渡、気仙沼へ


足をのばして、また訪ねてない被災地、釜石、大船渡、気仙沼を視察することにした。まずは「率先避難者たれ」「てんでんこ」の防災教育がまさに子ども達の命を救った釜石東中学校と鵜住居小学校へ。ほんとにほんとに目の前が海!よくも無事に逃げることができたものだ。
地震発生、中学生達が全員「率先避難者」となり避難所へ走り出す、屋上に避難し、これを見ていたとなりの小学生たち、「お兄さん達が逃げている、ここも危ないかも?」と後について逃げ出す。途中、道を歩いていた年寄りたちも同行し、無事避難所のホームへ。
 居合わせた職員さんに聞いてみたら、ここから、また子ども達は用心して逃げたそうだ。生きた教育はまさに子ども達を生かした!現代版「稲むらの火」だ。

 釜石駅前のビジネスホテルは仮営業を始めていて満室。飲み屋も、チエーン店ではあるが2件再開していた。少し離れた地元の旅館に宿泊、ボランティアの人たちが沢山入浴にきていた。
 2日は小さな漁港にも立ち寄りながら大船渡市、陸前高田市を視察。リアス式海岸の港は被害の程度の差はあるがほとんどどこも被災していた。広田湾に面している陸前高田の街は中心部もほとんど壊滅していて、果たしてここに街を復興して大丈夫なのだろうかと心配になる。海のそばの4階建てのマンション、3回までやられている、なんという高さ!
 気仙沼は被災地が水につかりどぶの匂いがした。でも、中心部は大丈夫で、日常生活がそこにはあった。
以前に宿泊した駅前のホテルも無事だった。魚センターでフカヒレスープやノリなどを買い、帰路についた。被災地は当然だがどこも表情が違う、匂いが違う、空気が違う、ただ被災された方々の静かな祈りは一緒だ。大勢の命を飲み込んだ海は見事な迄に静かで平和でのどかで、眠りをさそうほど。私はその眠りから覚めることができるが、犠牲になられた2万人もの御霊は…。きょうも、同じセリフをつぶやく。生きている私にできることはなんだろうと。合掌。