August 12, 2011

6日から10日まで

6日 66回目の広島原爆忌。猛暑の中、中沢啓治さんに会いに渋谷の映画館へいった。相変わらずいたずらっこのような人なつこい笑顔。笑みを絶やさず語る中身は壮絶だ。私が講談で語っている中沢さんの体験の数々。2009年と2010年のインタビュー、途中で脳梗塞を体験し、2010年の映像は口元が違う。今はがん闘病中で広島在中。
埼玉の上安松に住んでいた時、すぐ近所に中沢さんのお宅があり、ジョギングの時は家の前を走ったり、当時幼かった娘をつれてお邪魔したりと、20年前の思い出が甦る。原発震災が起きてしまった今、中沢さんの存在はますます大切になる。どうぞお大事に。

8日
2日間の保育士試験を終えた娘といわき市の実家へ帰省。実家の近くの保育園で働きたかったのに
10科目中科目落とし、落胆している娘。実家の父がいう。「福島は、こどもらはどんどんいなくなって、保育士の仕事もなくなっている。若い人らは仕事がなくて困っているんだ〜」娘を被災地に連れて行く。家の近所のよっとハーバーは立ち入り禁止。景色を見ることもできない。豊間も立ち入り禁止。そこら中で廃墟の解体、撤去の最中だ。4、5、6月と私が見た被災地はもう一般人は入れないのだ。久之浜の町中には入ることができた。被災地の風景は21歳の娘の目にどのように映っただろうか。

10日 昨日の平和宣言で長崎市長が脱原発を明言。当然のことを発言して大きなニュースになるところにこの国の闇がある。広島市長は菅首相が記念式典で原発について語ったことに不満を持っているらしいが、こちらの方が私には不思議だ。原発も原爆も目的は別でも中身は一緒なのだから。昨夜帰省した長女を被災地の久之浜へ。彼女は12日にここでボランティアをする予定だ。更地になった前の家と塀がなくなり松が傾いた我が家をみて驚いていた彼女は、久之浜の様子をしずかに見回していた。こうして短い私のいわき帰省は終わった。さあ、明日は月一回の講談サロンです!(いつもコメントくださる時雨さん、ありがとうございます)