June 23, 2011

19日の被災地取材、アップ

8時半にでて宮城県は亘理へ。


亘理の海岸線はほとんど壊滅。コンビニも鉄骨だけ。昔泥沼だった?「南泥沼駅」。地名は正直、大地にぽつんと車両が。ほとんど撤去されて建物がない道路をどこまでも。山元町の行き止まりは静かな海岸だ、少し小高い崖の立派な家。増築した部分が持って行かれたようで布団や茶碗がまるみえ。きっと避難所で生活されているのでしょうか。福島県新地へ入ると、線量計は0,08で東京より低い。
 南相馬の原発20キロ立ち入り禁止でも線量は低い。松川浦は先月とほとんど変わらず、6号線の舟々もそのままだ。飯舘村の役場はピカピカ、新しくてとてもおしゃれな建物。ボランティアの方と話す。来週の月曜から引っ越すとのこと。爆発直後に長崎大の山下教授が来て「、マスク何なしなくても大丈夫」と。村人が安堵して普通の生活をしていた2ヶ月後、「明日避難します」といわれたとか、どれほど驚いたことか!怒りが込み上げる。放射能物質が雪で落ちた斜面を走る。どんどん線量は上がって行き車のなかでも14、外の側溝で計ったらなんと83!!目眩がした。赤宇木は外で30、車中で11もあった。
 抜群の新緑の景色をながめ、自然の景観に感謝し、深呼吸したくなるような景色なのに!飯館から浪江に399号でむかう。もちろん浪江の入り口で追い返された。ジェイビレッジの入り口で神奈川県警の若者に挨拶。写真を撮っている人がいたら声かけることになっているのだそうだ。ここは線量は低い。いわき市に入った。久之浜、四倉、豊間、薄磯、ほとんど手つかずそのまま、一体いつになったら復興できるのだろうか…。

豊間の灯台の前のひばり像。まもなく23回忌だ。「ひばりさんが生きていたら被災地激励のため、奮闘したでしょうね」と大ファンの佳世さん、織福さんすっかりその気になっていました。我が家へ顔を出すも、両親は留守。やけに庭がひろくなったな〜と思ったら、隣の家が更地になっていた。嗚呼!