May 03, 2011

2日目

4月11日と12日震度6弱で我が家は壁やタイルがはがれ、塀はますます傾き、2年前に建てたアパート3棟は傾いて居住者に退去してもらっていた。


前回訪ねたのはたまたま4月10日。この日は通行できた岩間と小浜はやはり4月の地震で土砂崩れで不通、近所のサンマリーナはヨットが桟橋に乗り上げたり、腹をみせてひっくり返ったり…、なにより驚いたのは天然鵜でおなじみの照島が崩れて三角に!疲れると景色をみてぼーっとしてた私の癒しの場所の惨状。

 幸い家族は元気だが「もう一度大きいのが来るそうだ」と母。隣の家は取り壊すそうだ。我が家は築40年。酒飲みの棟梁が「時期がくれば丈夫さが分かる」と言っていた通りまだまだ住めそうだ。棟梁ありがとう!
きょうは地元の泉公民館へ。ここでは度々講演した。連休ということでほとんど外出。北茨城から知り合いが避難していた。地震が恐くてひとりではいられずここへきたそうだ。
勿来公民館は地元の講談「安寿と厨子王物語」の初演の開場で思い出が沢山。ここではボランティアの炊き出しで、バーベキューをしていた。連休中は大勢のボランティアがいわきを訪れたそうだ。ありがたい。勿来地区は4月の地震で避難している地元の人が多いようだ。

4月の地震では新しい断層が2つも出現、温泉が湧き出た所もある。勿来の森パークセンターはできたばかりの立派な体育館。ロビーでは児童劇が。ここで発声などみなさんと交流。最初は疲れた様子でも、声を出すうちに顔に朱がさし、最後はみなさんで立ち上がってお腹の底から声をだしてくれた。
ご主人が私の幼なじみという女性と話す。地震がこわくてパニック症になり、運転ができなくなってしまったそうだ。今はすこしずつ練習しているとか、そばにいた10代の息子さんに「母ちゃん、頼むね」といったら「おれがいるから大丈夫」と、たのもしい。
最後の汐見が丘小学校、体育館ではお年寄り達がマッサージを受けていた。小学校では校庭遊びを禁じているという。なんということだ。こどもにとってそれは拷問に近い。いわきは放射線が比較的低いのだから、計りながらなんとかならないのだろうか。小雨がぱらつく肌寒い中、帰りの「ひたち」に乗り込んだ。2日間でじっくり数名の方々と話すことができた。中には子どもの環境をめぐって離婚寸前のけんかをしている夫婦もいる。建てたばかりの家にもどれない20キロ圏内の人たち、どの家族も原発事故が重く影をおとしている。まったく終息しない、かろうじて悪化を防いでいるだけの状態はいつまで続くのだろうか…。