April 04, 2011

「福島原発震災いわきからの報告」

総評会館で「福島原発震災いわきからの報告」佐藤和良さんの講演を聴く。まず、非常事態宣言が出た11日の様子。双相地区から逃げてくる車をみて平の人々もパニックになる逃げ出し始めた。マスコミも福島市に逃げた。ところが線量はいわきより福島市の方が高かったというのが後日判明(笑)放射能雲が奥羽盆地を超えられずない為とか。2度も仕事で呼んでもらったのどかな酪農の村、飯舘村は東南の風のたまり場、気の毒だ。
避難所に2万人。こういうときは「地域力」が大切で、まとまった地域は一人暮らしに人にも手が届いた。水道が止まり20日目に水が出た。一般の人の限度は一年で1000マイクロシーベルト。鹿島地区は0,9マイクロ、佐藤さんは数が月で一年分浴びることになる。そして子ども達。6日に入学式を迎える。佐藤さんは2ヶ月休むよう進言したものの教育委員会は「専門家が大丈夫といってるから大丈夫」と。その専門家とは長崎大学の原発推進派の先生。
4日から瓦礫の撤去に入るが、いつ爆発するか分からないから復興に入って行けない。海洋汚染が進む、絶望の中でどう生きるかだと佐藤さん。被爆後の世界を生きなければならない、絶望の中をどう生きるか。佐藤さんだけではない、まちがいなく私たち一人一人が問われている。