April 11, 2011

がんばっぺ、いわき!

郡司さん達のWE21ジャパンの15名、ザ・ピープルの吉田さん、甘南備さんと勿来インターの駐車場で合流、まずは岩間の海岸へ。冬でもサーファーでが訪れる静かな遠浅の海。2メートル位の堤防が崩壊してまるで木の塀のように倒れている。家々も壊れて瓦礫の山に声も出ない。ほどなく「プライベートビーチ」と私がひそかに楽しんでいた小浜の海岸、海沿いの家は流されるてあるいは傾いて、こちらも様変わりだ。小さな漁港の舟がひっくりかえったまま。
そばにいたおばさんに被害を聞いた、自分は高台で助かったが2人がなくなったそうだ。小名浜へ出る途中の我が家へ、塀が液状化で傾いていた。ひと月ぶりの母、やっと水が出るようになり、皆元気でやっているとのこと、安心してすぐに車に戻る。小名浜はもう見る影もない。魚市場にのりあげたままの舟が何隻もあり、海産物店がならぶララミュウやアクアマリンの回りは瓦礫や車が放置してあった。小名浜高校の避難所でまず物資を手渡す。一斗缶の天ぷら油に「鶏肉があるから、きょうは唐揚げにしよう」と。お役にたてて嬉しい。
昼食をとりながら、吉田さんたちの取り組み、被災者が自ら炊き出しをする「避難所母さんの元気プロジェクト」や震災直後のなまなましい様子など聞くことができた。
午後は美空ひばりの「乱れ髪」で有名な塩屋の岬のある、豊間へ。ここは本当にうつくしい海岸だった。そして海岸の目の前に中学校があり、そこで公演をしたことがある。しかし、今日目にしたのはあまりに無惨な風景。きょうから自衛隊が捜索に入り、昨日前立ち入り禁止だった豊間の町。堤防はこわされ、道路は遮断され、中学校は土台を残して消えていた。食事をしたレストランは別の場所で2階だけが残っていた。もう声も出ない、涙も出ない、ただただ呆然。

避難所に食材を提供している平の「スカイストア」でいわきの野菜など買い物をして、いわきを後にした私たち。底抜けにあかるい故郷いわき。皆さんが今直面しているとてつもない災難「地震、津波だけだったら、おれら元気に立ち向かえるけど、原発がな〜」地元の皆さんと一緒に立ち向かおうと私たち一行、決意をあらたにいわきを後にしました。この災難に直面して、故郷がぐっと近くなった。