March 13, 2011

大震災

高速道路閉鎖、電車不通でどうやって東京へ避難できるか。やはりむりだったか、部屋の準備をして、甥っ子達を待ったが、午後4時迄連絡なし。原発の状態がツイッターやUstで明らかになり、とにかく避難しなければならないのだ。笑い話になれば幸い。津波で壊滅的な被害を受けた東北各地には、知り合いが沢山いる。仕事で2度も訪れた気仙沼のみなさん、三陸の旅館、美味しい魚のお店、今、もう街の姿は残っていないが、とにもかくにもご無事を祈りたい。そして、東京に住む我々にも静かに危機がせまっている。いまこそ、智慧を試されているようだ。

大災害

朝方、やっと実家に電話が通じ、皆の無事を確認した。津波警戒で避難所にいたとのこと。織音はどうしても披露宴をやるという。信じられない思いだが、師匠の私がいかない訳にはいかない。朝、駅に向かうも電車はとまっていて、40分タクシーを待ち、地下鉄駅へ。おおいそぎで着替えたが、非常事態中の祝宴というのは、なんとも、緊迫感にみちた、忘れられない宴となった。原発が大変なことに!「チェルノブイリの祈り」の最後のシーンが現実のものになってしまった。とてもとても悔しい。実家になんとか連絡するも、両親は「年だから、放射能あびてもしょうがない」と動こうとしない。弟夫婦は避難所の世話があるからいけないという。特急もとまり、道路も封鎖では移動もままならないが、おいっこ、姪っ子だけでも、避難させなければ。