December 05, 2011

「脱原発をめざす講演会in北区」

11月30(水)
イベント終了した翌日から連日サロンの生徒さんの個人レッスン。発表会が近づいているからか、気迫が違う(笑)きょうは2人の稽古終了後、日暮里で鼎談。
 週刊新社会の年頭の企画で「福島原発避難者の生きる権利を」。小高町から国分富夫さん、大熊町で3月中旬に新築した家に引っ越す予定だった大賀あや子さん、おふたりとも会津で避難生活をしている。当事者ならではのなまなましい報告、「若い人のみならず、年寄りも、帰れるのか、どうなのかはっきりしてほしいと訴えてる、若い人たちには将来がある、そして年寄りは残り少ない人生を大切に生きたいと切望している。帰れないなら科学的な証明をしてはっきり帰れないといってほしい」と大賀さん。政府は彼らの身になってはっきり「引導」を渡すべきだ。このまま「へびの生殺し」では年の瀬も新年もむかえられないというものです。お二人の報告は新年号をごらんあれ。


12月2(火)
今年大ブレイクした新聞、東京新聞の中山記者に誘われて「理由のない忘年会」に参加。なんと、有楽町の東宝ダンスホールが会場。洋画のワンシーンかと思うようなドレス姿の女性たちがところ狭しと踊っている、それを眺める感じで約一時間ボーッと。すっかり別世界気分が出来上がったところで別会場へ。今をときめくジャーナリストたちや出版関係社や東京新聞記者達。なかにはあの日野美佳さんも。彼女の「氷雨」に青春時代にワープした私達は、興奮覚めやらずもう一件。やがて電車もなくなり、タクシーで帰還したのでした…痛い出費…。


4(日)
昨年の4日は女性ジャーナリスト特別賞授賞式だった。あれから一年、たった一年でこんなにも変わってしまうとは…感慨無量の特別な一日。
北赤羽区民館で「脱原発をめざす講演会in北区」浪江町から北区に避難している門馬さんの話は怒りにみちて、胸が塞がるおもい。
「北区子どもを放射線から守る会」の田尻さんの報告にはびっくり。マンションの一階に住む田尻さんは小学2年生と4年生の母親。子どもたちの鼻血がとまらず自分で庭などを除染したそうだ。甲状腺をはらしている子どもも。北区でも進行する低線量被爆の実体にみな、唖然。学校は給食食材の線量を計らない。彼女は子どもたちに弁当を持たせている、こどもの親同士でも温度差がある現実。主学4年の娘さんが自主的に書き出した放射能ノート。10歳のこどもにこんな思いをさせているのだ!
超党派のこうした取り組みは今回がはじめてだそうで、ぜひ引き続きやってほしい。なにしろ、今は戦時下なのだから。