November 28, 2011

一回目のイベント無事終了!

昨日の「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」第一回イベント「ふくしまの今を考える講談「チェルノブイリの祈り」とトークセッション」は予想以上のお客様が来てくださり、無事終了、お運びの客様、声援を送ってくださった皆さん、ありがとうございました。
 私は喉の調子がいまいちだったので、咳き込まないか、鼻水が出ないか、それだけが気がかりでしたが、途中いつもより水を多めに飲みながらなんとか、いつもどおり語ることが出来ました。これからはどんなに忙しくても体調管理第一です。


 講談の後のトークセッションでは、はじめに都内で2カ所で講演があった、佐藤栄佐久さんも立ち寄り挨拶してくれて、それから福島市の阿部さん、いわきの松崎さんから映像を入れながらの報告。汚染米があらたに出た大波地区に近い阿部さんのお寺の近所に出現した「昭和新山」(除染した土をトラックが運び積もり積もって山のよう)の話、雨で泥が流れて国道に。こんな汚染土がだだもれで…。こういう情報はまったく入ってこない、おそらくそこら中でこのような「処理」の仕方がされているとしたら、除染の意味はただ汚染された土を「移動」しているだけでは?
いわきの松崎さんは震災以後のいわきの農家の苦悩、そして取り組みについて、おだやかな語り口からもご苦労が伝わってきた。
いわきは放射線量が比較的低い。最近は農家の作物の汚染度を測って安全な作物を出荷している。これが広まれば、県内の農産物の風評被害もなくなっていくのでは。今、有機農業の土地は、放射能の汚染物質を吸収するという検証もされています。この話は二本松の菅野さんから既に聴いていて、たまたまきょう27日「脱原発ふくしま有機ネット」が立ち上がった。
 食生活はもっとも身近なもので、関心も高いので次回は有機ネットの取り組みと実際に、野菜の販売も考えても良いかもしれない。その放射能を取り除く現場の取り組みのバスツアーを組んで、視察し、説明を聞いたりして、首都圏と福島県内有機農家を直結して販売できたら〜と。いろいろ考えるきっかけになった第一回目のイベントでした。スタッフのみなさまも、お疲れさまでした1


November 24, 2011

ここ10日間の報告です

前回から10日も空いてしまったけど、いろいろありました。
 まずは14日練馬消防署の「防火のつどい」で稲に火をつけて人々を救った「稲むらの火」を一席。サインには「今だ、命の火を灯せ」(笑)

 15日は香喋庵にて取材が2件、一件はアメリカのジャーナリスト、スティーブ某さん。ゆっくりした発音の英語で分かりやすかったです。福島の汚染の強い地域でこどもを育てているのは一言「クレージー」。原発やめないのも輸出しているのも「クレージー」まったくもって気があいましたその通り。
 16日は午前中ラジオ福島の電話インタビュー、夕方からは国立演芸場で講談祭り。田辺一鶴さん3周忌ということで鶴瑛さんが「東京オリンピック」を。これがまるで女一鶴で面白い。女性だけの出演で充分やっていけるとのだれかの挨拶に楽屋の貞心先生が「おいおいそれはないぜ」(笑)
 19日はめずらしく暴風雨。三越劇場で新内を聞き、夕方からは27の最後の打ち合わせ。なんとゲスト出演してくれる阿部光裕さんが仕事の帰りに立ち寄ってくれた。自宅から200メートルしか離れていない大波地区で汚染米が出て、行政のやり方に失望しつつ自分たちが引っ張って行くしかないと腹をくくっている。迫力と気迫がみなぎっている。飲み会では最初から日本酒で飲むほどに愉快で豪快な方、囲碁の武宮陽光さんも顔をだしてくれて楽しい一時でした。本番が楽しみです。
 21日、中野サンプラザでの「いわき復興祭」にハワイアンズの方から招待してもらい夕方到着。蟹汁とメヒカリ唐揚げの無料サービス。早速頂いて身体をあたためいざ、客席へ。湯本のおかみさん達のじゃんがら念仏踊りの後ドキュメント映画「がんばっぺフラガール」そしてダンシングチームの見事なフラダンス。10時近く迄の熱演に客席は興奮のるつぼ。いわきの復興はハワイアンズからだ。友人知人さそってぜひ宿泊しましょう〜。
 23日は「脱原発をめざす女たちの会」呼びかけ人に寄るキックオフ集会。壇上に次々とあがってひとり3分。たった3分だが、皆さんほとり一人の立場、脱原発への思いなど、とっても力強く、説得力があった。私はきっちり時間を計って「チェルノブイリの祈り」のワンシーンを音入りで語った。もちろん「このつづきは27日に新宿で」と最後に一言。椅子に座ったとき、となりの小山内美恵子さんが「よかったよ」と言ってくれてほっ。後の田中優子さんも「チェルノブイリの祈り」について「言って良いかな。この後うまれた赤ちゃんがたくさんの障害をもってうまれ、すぐ亡くなるのです」と続けてくださった。この田中さんの着物の着こなしのいいこと!上原公子さんも着物姿で私たちのグループはなんと3人も和服。そのせい?東京新聞の朝刊には私たちのグループの写真が載ったのでした。でも、照明が当たってない上に下から撮っていて、みなこわ〜い顔にみえたのは、ちょっとね。東京新聞記事はいいけど写真がね(笑)
だるま森さんえりこさんララリーヌさんも駆けつけてくれました。





November 15, 2011

12、13盛り沢山のいわきへ!!

12日夕方、佐藤栄佐久元福島県知事の講演会、テーマは「うつくしま、福島をあきらめない」に参加のため、植田駅へ向かう。明日は好間公民館で仕事だからとてもタイムリー。電発のみならず道州制など多岐にわたるテーマで語ってくれた。3,11以降300社以上の海外メディアが取材に来たが地元福島県の地方紙は一度もこないで、「ル・モンド」紙へのインタビュー記事を紙面で紹介したというのには、唖然…。県民の安全のため、プルサーマル導入に厳しい姿勢で経産省や東電と渡り合って来た、実に理想的な首長だったのに。
愛媛新聞からは3回も取材を受けた。70年代の伊方原発反対で地方自治、民主主義の問題ととらえ学者もがっぷり組んで裁判を闘って来た歴史がそうさせるのだろう。70年代から既に、国、官僚、マスコミが一体となり「原子力帝国」に反対する人を排除する仕組みが出来上がっていた。自分はドンキホーテのようだったと回想。そのドンキホーテは私たちに貴重な資料を残してくれた。日本原子力の宝といわれる、福島県エネルギー政策検討会が2002年12月に発行しました中間とりまとめ「あなたはどう考えますか?日本のエネルギー政策」だ。ネットで読めるからお勧めします。社会人弟子の織鏡さんが12月7日に発表する新作でそのことに触れている、さあ、どんな新作になるか、たのしみ。

13日、好間公民館でなんと朝10時から震災復興in好間「稲むらの火ー浜口梧陵伝」うんうんうなずきながら聞いてくれるから、友達みたい?最後は童話尻取り、五十音など講談ワークショプもサービス。楽しかったです。ポレポレいわきの鈴木さんと福田さんも来てくれて終了後昼食会、市内では復興復旧のいい企画が出ているのだが、それをまとめる力がなく、なにもすすまない状態だそうだ。市会議員や行政は「だって、広いんだもん」そりゃそうだ神奈川県と同じ広さのいわき市なんだから。まずは元の5市単位にして細かく動くこと。分市が困難ならば、市内を良く知る市民派の市長を誕生させ、その下に旧5市を分担する5人の配置する、など勝手連は?盛り上がる。駅前の一等地のビルに7つの大小の映画館、なかにはシンポジウムができるスペースも。3年前にできたポレポレいわき、原発関係の映画を上映し、情報を発信し、不安を持つ母親達の喋り場も企画中。先日東洋館で挨拶したおしどりマコケンさんたちも度々シンポジウムに参加している。
今度いわきへ行く際には、各地のお母さん達を紹介してくれると福田さん、熱く握手を交わして映画館を後にして、東京へ、収穫の多い2日間でした。



November 10, 2011

京都からいわき市へ6,7日

6日はいわき市。アリオスで「吉野せい文学賞」授賞式記念公演。
なんと女性3人が受賞。最年少は17歳の高校生。いわきの女性パワーが発揮?講演終了後には本がたくさん売れて、故郷の人は暖かいです。「ふくしま支援・人と文化ネット」からは薄井さんと郡司さんが参加してくれました。
夜は郡司さんと現地のNPO関係の方たち2人と食事。原発の被害を受けた人たちをターゲットに、いろいろな NPOや弁護士が入ってきている現実について話を聞く。
原発被害の賠償金の申請書をサポートするNPOや弁護士にも、被害者側の立場でサポートする人と東電側に有利になるように仕事する人たちがいるのです。東電はいまだ、誰一人逮捕されず、冬のボーナス200万とか(怒)
実家には原発事故の「健康管理調査」の問診票が届いていて85歳の父は息子にまかせていると、ほとんど関心がない様子。テレビでは「放射能測定値」が流れ…。福島は放射能とともに生かされているのだな〜としみじみ(泣)


7日は、小名浜社会福祉協議会と地元のNPOザ・ピープルが主催の「小名浜地区交流会」。小名浜公民館で地震や津波で被災して借り上げ住宅に住んでいる小名浜のみなさんと交流会。終了後は楢葉町と広野町のみなさんが住む1000件の仮設住宅へ。20キロ圏内の楢葉町民はウッドの家、30キロ圏内の広野町民は普通のプレハブでした。昼はお年寄り達、夕方は子ども達が集う地元NPOがたてたパオが。農作業につかっていたもののリユースだとか。外の明かりが差し込んで暖かい雰囲気でした。
驚いたのは被災者の魚屋さんが仮設住宅に小さなスーパーを開いたこと。ちょうどおいしそうななめた鰈の煮付けが出来上がっていました。なんでも一時間前に予約するとか。少しづつ仮設住宅に生活の匂いが漂い始めていました。





November 05, 2011

3日の京都は盛り上がりました

11月3日の憲法集会は1400人もの皆様が円山野外音楽堂に結集。大阪経済法科大の澤野義一先生の講演と私の「はだしのゲン」公演。ちょうど良い天気の下、1時間半ちかく集中して聞いてくださり、語っている方も、ハンカチをだしてそっと涙を拭う人など、ひとりひとりの表情が見えて、講釈師冥利に尽きる集会でした。売店担当の横田さんと高橋さん、なんといわき支援のTシャツが30枚以上売れました!打ち上げでは実行委員のみなさまがご自分の考えを滔々と!京都はさすが歴史があるなあ〜。




4日は実行委員長の木原さんご夫妻の案内で京都観光、太子山「奇應丸」さんで町家の説明をゆっくり伺い、静かなたたずまいの中庭に時間がとまったような、その昔の生活ぶりが目に浮かぶようでした。昼食は音戸山の畑善さんで懐石料理をごちそうになり、その後は「織成館」で西陣織りの機織り見学と、思い出深い観光となりました。木原さん、奥様ありがとうございました!!