July 30, 2011

旅の報告28、29日

28日
来月26日の知多市やまもも子ども劇場「フラガール物語」の事前講談ワークショップで知多市へ移動。。昼は2時から夜は7時から、子どもを中心に大声を出しまくる。それぞれ40人位の小中学生や大人が自作の張り扇をもって、それはそれは元気一杯。講談の語勢で「勇ましい闘いぶり」を声をそろえて語り、最後は講談式の自己紹介、昼も夜も子どもさん達の元気さが引き立った講談ワークショップ。ここでも「西日本を死守して」との私の訴えは続くのでした。
29日
名鉄電車で名古屋へ移動し、名古屋の友人からぜひ一度と薦められていた井上葉子さんの「アレクサンダーテクニック」の個人レッスンを受ける。普段全く意識しない脊髄や関節の動きを実践しながら教えてもらい、身体の各部位の精巧な働きがわかり、びっくり。「身体のことをするときには心のことを」「心のことをするときには身体のことを」チベットのことわざにも通じるようだ。脊髄がいとおしくなった。
こうして
無事、5日間の西日本の旅回りは終了。5日間、安心して食事や深呼吸ができた。そして東京ではほとんど聞かない蝉の鳴き声、大阪でも淡路島でも四日市でも知多市でも、どこでも耳にいたいぐらい聞くことができた。関東で蝉が泣かなくなった原因は放射能のせいといえるかどうか分からない。来年はもどってきれくれるのだろうか…。

July 27, 2011

旅の報告、26、27日

26日
大阪から淡路島へ移動。明石大橋は雄大でした。あんな高い所から点検で降りてくると聞いて車中で目が回りそうに…。5年前「はだしのゲン」公演と同じ東浦サンシャインホールで「チェルノブイリの祈り」。すぐそばの海水浴場であそぶ子ども達。いいな〜。我が故郷も昨夏まではおなじ光景だったのに…。「西日本を死守して下さい」と挨拶してから本編に入った。音響が良くて気持ち良く語ることができました。宿泊先は夢舞台のウィストンホテル、広々として洗練されていて寝るだけというのは勿体ない。早起きして散歩しほんの少し、リゾート気分を味わいました。淡路島はタマネギもお魚もおいしく、なにより汚染の心配なく安心して食べることができる、これがどれだけ貴重なことか(グスン)
27日
四日市市民会館で「フラガール物語」、この会場は大分前に「はだしのゲン」で呼んでもらっている。主催のこどもネットでは、被災地支援の義援金募金に取り組んでくれた。嬉しいです。会場はなんと小学校低学年性が大勢参加、少し難しいかも?と思ったけど、最後迄おとなしく聞いてくれ。公演後はロビー交流会、被災地報告もして、この日も「西日本を死守して」とお願いし、最後はみんなで「からすの発声」で元気よく終了。

July 25, 2011

旅の報告25日

 練馬の東本願寺「真宗会館」にて戦争犠牲者追悼法要「はだしのゲン」を一席。実行委員会代表の久萬嘉さん、原爆投下の時、江田島にいて目撃されたとか。3,11大震災と66年前の破壊された風景のなんとそっくりなことか、戦争体験者にとっては感慨深いことでしょう。
 その後、大阪へ移動。「林眞須美さんは無罪だ」集会、13年前のこの日、カレー事件が起きた。きょうは年に一度の天神祭と重なり浴衣姿の女性達で大変な人ごみ。祭り会場の天満橋は会場の最寄り駅。林眞須美さんにはお祭りどころか、外へ出ることも許されないのだな〜と思いながら「シルエットロマンス」を一席。
 今週の週刊誌に紙コップの色についてずさんな鑑定があったと記事が出た。ゴビンダさんに続いて鑑定し直しし、はやく再審してほしい。なにしろ彼女は証拠なし、動機なし、自白なし。あるのは保険金詐欺と報道陣への水かけシーン。報告によると、拘禁症がではじめたとのこと。手紙、面会だめ。3畳間で監視カメラ音もすべて聞かれている毎日、どれほど残酷な毎日か。(写真は打ち上げで。)


 
 片方では、ずさんな事故処理でいまだに放射能をまき散らし、どれぐらいまき散らしているか報告もなし。福島県民のみならず東日本を不安に陥れ、福島からうつくしい土地を奪い、家畜を奪い、水も空気も汚染しまくり、数十人の自殺者を出し、国中の食べ物を汚染し、子ども達から未来を奪い、それでも、5億円の退職金を「わたしにも老後があるから」とのたまう人を守る国家。どうなってんの!!


July 23, 2011

「山あげ祭り」

那須烏山で450年続く野外劇「山あげ祭り」。高崎での仕事の帰りに見物に出かけた。織奈さんの妹、織羽さん(この名前はご両親が命名)がナレーションも講談調で披露するとあっては、行かない訳にはいかない。烏山名産の和紙をつかった舞台。高さが10メートル以上ある大山など歌舞伎舞台を組み立て、またばらして、別の道路で組み立て、演技し、またばらして。と多い時には一日に5回も披露。役者達は地元の少年少女。裏方数十名は大忙しで、一糸乱れぬ団結ぶり。これが重要無形文化財に指定されている。織羽さん、堂々としていてとても拡張高く「戻橋」を説明。その昔、渡辺綱を演じた「松月庵」の主のお父さんが丁寧に案内してくれた。
今、町内の若衆が少なくなっていて維持するのが大変だそうだが、地域の伝統の神事を見事なチームワークでこなして行く為作業は地域のコミュニケーション作りそのものだ。大変でもぜひ継続していってほしいと心から願った初日の山あげ祭りでした。



July 18, 2011

11日からなでしこ勝利の18日迄

暑中お見舞い申し上げます。
ここのところ、ブログのまとめ書きが習慣になりつつあるとちょいと反省。暑くてブログ書く前にビールを飲んでしまうからか、と猛暑のせいにして(笑)
今朝はなでしこジャパンが強豪アメリカ相手に奇跡的な勝利を勝ち取り、久しぶりにさわやかな朝を迎えることができました。序盤のアメリカのパワーはすごくて、こりゃ厳しいとしばし熟睡。しかしふと起きてみたらなんと失点せずに前半終了、もう寝てる場合ではなくなった。あきらめず、楽しんで!!こういうチームに勝利の女神は微笑むのだ。

 さて、11日は「年報死刑廃止」の座談会、地震と原発と死刑といったテーマで、TBSの金平茂紀さん、文芸評論家の川村湊さんと、安田好弘弁護士、そうそうたるメンバーに芸人が入っていいの?と思いつつ参加させてもらいました。
 12日は秋吉久美子さんと30年ぶりにお会いして「ふくしま支援」の相談、秋吉さんはかわらぬプロポーションで声も大きく、大変お元気。
 13日は都庁での「NPO法人の説明会」これはガイドブックの解説といった感じ。書類の書き方など、私の最も苦手な分野だと再確認して猛暑の中、疲れて帰った次第。
 14日は栃木県那須烏山の「山あげ祭り」のナレーションを講談調でと、織奈さんの妹さんが稽古に見え特訓、その後、本郷の講談サロンへ。第8期開始と同時に、12月の発表会の演目も徐々に決まり、皆、歴史に残る大震災の締めくくりにやる気まんまんといったところ。
 15日は午前中に織音さんがお中元を持って顔を出してくれ、午後から長女と長野県上田に一泊し、すがすがしい夏の長野を満喫。日光きすげが咲き始めて満開時はどれほどか。
 17日は午前中に「田中さんはラジオ体操をしない」を見て、大笑い。国労闘争団の知り合い達が大勢出演していたのも面白かった。その田中さん、終了後「国労闘争団が解散しちゃって…」と寂しそう。しかし、原発事故による人権侵害や、放射能問題は今後拡散し、全国規模に。闘う人はこれから沢山増えることになる、こういう時、田中さんや国労闘争団を闘い方をみならおう?!ってことになるかも、などど思いつつ、帰りはジムによって泳いでかえったという一週間でした。