May 28, 2011

久しぶりの「哀しみの母子像」

台風の接近であいにくの雨。茅ヶ崎で久しぶりの「哀しみの母子像」公演。
私の前に斎藤真弘さんによるお話。
思えば前回は1月26日門仲天井ホール、やより賞受賞記念。
この日は奇しくも和枝さんの29回目の命日で、斎藤さんはお客さんで来て下さった。

 あれからわずか4ヶ月しか立ってないのに、随分前のことにようだ。あの頃は、少しは日常があったし、少しは平和だったような気がする、今は未来がなくなってしまったのだな〜〜。
 ほんとにみなさん、泣きはらしてお帰りになる。聞いてくれるお客さんの中で和枝さんは生きているのです。主催者の越生武子さんのメールをご紹介
(昨夜は、素晴らしい講談を有り難うございました。天井ホールでお聞きした時も感動しましたが、昨夜はさらに磨かれて神田さんの魂の声に引き込まれました。
 初めての講談、という方も大勢いらっしゃいましたが、皆さん「良かった!」「神田さんの世界にひたりました」「心がふるえました」等々感想を寄せてくださいました。
 神田さんは立ち位置がはっきりしているので、お話もとても共感できました。平和の事、原発のこと、政治の緊張感のなさ等々もっと聴きたかったです。私達 はあまり沢山のお礼をお払いできませんが、また機会があれば別の演目をぜひお聞きしたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。)
こちらこそ、またぜひ声かけてくださいね。


May 23, 2011

香織倶楽部、いわき避難所慰問講談

22日の避難所激励講談、御陰さまでご好評いただきました!
朝倉さん、本間さん、高橋ルミ子さん、田口佐智子さん、お疲れさまでした〜。
簡単ですが報告を!
前日とはうってかわって寒い日しかも小雨、うっかり夏の着物ででかけ
一日中震えながらの慰問となりました。
10時半の四倉ICで現地案内の高木さんと合流、まずは四倉の皆さんが避難している
四倉高校体育館へ。最初に私が挨拶し、つい新内の話になり、本間さん一声披露、被
災者の人たちと「あいうえお」「50音」
その後朝倉さん「バナナ」田口さん「ガマ」高橋さん「義士」と一席づつ披露。そし
たら私の時間がなくなり、引き上げようとしたら「香織さんのが聞きたかったのに〜」
と言われ反省。
2カ所目からは構成をかえて、皆で「バナナの叩き売り」をやるなど
私の時間も充分にとることができました。

被災地久之浜の町中を車で視察、まだまだ手つかずの瓦礫の山でした
四倉の「蟹洗温泉」海をみながら入浴、人気の温泉でしたが、一階は破壊され
当日入浴していた人たちはそのまま海にさらわれたそう…

臨時の「四倉道の駅」で無料(義援金カンパ)のうどんをごちそうになる、田口さんの
前でうどんがきれ、時間がなくなり、車の中で食べる状態でした(笑)

2カ所目は福島高専、ここは20キロ圏内の広野町のみなさん、
3カ所目は中央台南小学校、ここは原発近くの楢葉町のみなさん。体育館が広くて
又寒くて毛布を膝がけにして聞いてくれました。
最後は江名小学校、ここは地元江名の方々。
どの会場も、一緒に「あいうえお」など声をだしたりするうちに
笑顔もみえて、お元気になられた様子
各避難所、それぞれ会場条件も違い、臨機応変に対応、会場かがりの方々も
机や椅子をさっと出してくれ協力
こうして
神田香織一座は先々で歓迎してもらい、5時ごろ解散、無事帰路につきました!
朝倉さん、車、バナナの差し入れありがとうございました。
本間さん、高橋さん、田口さん、お疲れさまで四t
みなさん、気合いが入っていてよかったですよ!!
パパンパン


May 09, 2011

北九州と山口へ

7日、8日と旅公演の報告なり〜。「北九州空港について、やっと深呼吸ができました」とマクラで挨拶するも、九州の皆さん?って感じでした(笑)ここにはつい2月前までの「使用前」の日常があるのだわ〜。芸術劇場で「はだしのゲン」600人以上も来てくださり、感謝感激。時間前には小倉城の中の「松本清張記念館」見学。打ち上げではおそらく放射能に汚染されてない新鮮なお刺身、美味しかったです。北九州こども劇場のみなさん、ありがとうございました。

8日は関門海峡を渡って山口県へ。ご先祖の平家が敗れた壇の浦で「耳なし方一」の紙芝居を見ながらご先祖に手を合わせる。会場のニューメディアプラザがあるのは湯田温泉町。そう、ここは温泉が沢山あり、海も近く、まさに常磐湯本温泉とそっくりな町。ただちがうのは「空気」嗚呼。心をこめて「フラガール物語」を語る。前あての照明がまぶしくて、汗だくになってしまい、お見送りの後鏡をみたら、目がパンダ!皆さん「ガンバッペいわきカンパ」にご協力くださり、なんと5万82円の浄財を頂きました。早速、避難所慰問に使わせていただきます!子どもステーション山口の皆さん、ありがとうございました!


May 03, 2011

2日目

4月11日と12日震度6弱で我が家は壁やタイルがはがれ、塀はますます傾き、2年前に建てたアパート3棟は傾いて居住者に退去してもらっていた。


前回訪ねたのはたまたま4月10日。この日は通行できた岩間と小浜はやはり4月の地震で土砂崩れで不通、近所のサンマリーナはヨットが桟橋に乗り上げたり、腹をみせてひっくり返ったり…、なにより驚いたのは天然鵜でおなじみの照島が崩れて三角に!疲れると景色をみてぼーっとしてた私の癒しの場所の惨状。

 幸い家族は元気だが「もう一度大きいのが来るそうだ」と母。隣の家は取り壊すそうだ。我が家は築40年。酒飲みの棟梁が「時期がくれば丈夫さが分かる」と言っていた通りまだまだ住めそうだ。棟梁ありがとう!
きょうは地元の泉公民館へ。ここでは度々講演した。連休ということでほとんど外出。北茨城から知り合いが避難していた。地震が恐くてひとりではいられずここへきたそうだ。
勿来公民館は地元の講談「安寿と厨子王物語」の初演の開場で思い出が沢山。ここではボランティアの炊き出しで、バーベキューをしていた。連休中は大勢のボランティアがいわきを訪れたそうだ。ありがたい。勿来地区は4月の地震で避難している地元の人が多いようだ。

4月の地震では新しい断層が2つも出現、温泉が湧き出た所もある。勿来の森パークセンターはできたばかりの立派な体育館。ロビーでは児童劇が。ここで発声などみなさんと交流。最初は疲れた様子でも、声を出すうちに顔に朱がさし、最後はみなさんで立ち上がってお腹の底から声をだしてくれた。
ご主人が私の幼なじみという女性と話す。地震がこわくてパニック症になり、運転ができなくなってしまったそうだ。今はすこしずつ練習しているとか、そばにいた10代の息子さんに「母ちゃん、頼むね」といったら「おれがいるから大丈夫」と、たのもしい。
最後の汐見が丘小学校、体育館ではお年寄り達がマッサージを受けていた。小学校では校庭遊びを禁じているという。なんということだ。こどもにとってそれは拷問に近い。いわきは放射線が比較的低いのだから、計りながらなんとかならないのだろうか。小雨がぱらつく肌寒い中、帰りの「ひたち」に乗り込んだ。2日間でじっくり数名の方々と話すことができた。中には子どもの環境をめぐって離婚寸前のけんかをしている夫婦もいる。建てたばかりの家にもどれない20キロ圏内の人たち、どの家族も原発事故が重く影をおとしている。まったく終息しない、かろうじて悪化を防いでいるだけの状態はいつまで続くのだろうか…。

May 02, 2011

避難者との雑談交流一日目

いわきの友人が避難所の皆さんを激励したいという気持ちをくんでくれて「神田香織ふるさと訪問ー避難者との雑談交流」の機会を作ってくれた。ありがたい。
あらかじめいわきの農産物を支援している「スカイストアー」にバナナ500本を手配してもらい、徐行運転でいつもより30分遅いスーパひたちでいわき駅へ。今日の分のバナナを積み、まずは内郷コミュニティセンターへ。

ここはほとんど地元の方だ。ボランティアの人が衣類をきれいにたたんでいた。体育館など4カ所に別れている避難者の皆さんと話をしたり、ロビーで簡単な講談ワークショップ。約10名が集まり、5歳ぐらいの元気くんが大きな声でてきぱきリードしてくれ、なごやかな雰囲気に。
内郷御厩小学校は南相馬からの方々が。3人家族の方は「単身だと仮設住宅に入りやすいが」と。別の避難者の方が昨年の「フラおんぱく・講談教室」生徒、あやさんから「香織さん、また教室やって〜」とのメールをみせてくれた。彼女は秋田に避難しているという、2年続いた湯本での講談教室、あの頃のなんと「平和」だったこと! 好間公民館にも南相馬からの家族が。20キロ圏内の皆さんは避難所を転々とされていてほんとに苦労されているがこの家族は近所にアパートが見つかったとホッとされた様子。
旧三小体育館は段ボールでかこってあり、きょう訪ねた中では最もプライバシーが確保されている。ボランティアのお坊さん達が出際良く炊き出し。

案内役の高木さん、いわき支援の会の同窓生淳子さんと最近再開した「だんだん」という郷土料理やで夕食。おそらくまだ汚染されてない?鰹のお刺身がおいしくて感激でした。