October 09, 2010

高木仁三郎没後10年のつどい

 原子力をとりまく環境はますますあやういものになった。なにしろ民主党がばりばりの原発推進だ(泣)こんなときだからこそ、高木さんを偲んで、不安をパワーに変えたいと四谷で開催の「高木仁三郎没後10年のつどい」に参加した。
 雨にも関わらず全国から高木ファンが集結していた。一部の講演会ではTBSアメリカ編集局の金平茂紀さんと原子力情報室共同代表の山口幸夫さんの講演。金平さん、臨界事故のとき、闘病中の高木さんに急遽テレビで発言してもらったこと、事故現場にかけつけた筑紫さんや大勢の人がガンでなくなっている事実を話す。
 高木さんの言葉「科学技術が営利目的になると、データ改ざん、ノーチェックになってしまう」は今まさに現実になっている。また金平さんはアフガンからかえったばかりで「戦争科学者が動員され部隊に同行し任務遂行に協力。その後社会的地位を保証される」という事態を紹介。
 山口さんははじめに原子力資料情報室発足当時の武谷三男との議論を紹介。市民であり、科学者でありたいという高木さんに「科学者には科学者の役割、市民運動は市民の役割」とし「時計をかなづち代わりにしたら壊れるだけ」といった武谷氏に高木さんは「かなづちの心をもった時計を目指したい」と反論したそうだ。あのおじさんらしいとしみじみ武谷氏を思い出した。
 懇親会では「チェルノブイリの祈り」連続講演のときお世話になった各地のみなさんと再会。いわきの佐藤和良さんもきていて
たのしいひと時を過ごすことができた。「放射能を前にしておろおろあるく農民、漁民の側にたつ」「市民科学者」高木さんの志は今でもいきている。