June 30, 2010

お見事、岡田ジャパン

パラグアイ戦はまさに死闘、お見事でした。敗退しても今回は女神がたまたま向こうに微笑んだというだけのこと。岡田ジャパンの活躍はおそらく相当の国民を元気づけたと思う。私も間違いなくその一人で、げんに今、なまけもの?の私が講談の稽古中だ。仲間を信頼し合う事の意味を、あらためて思い出させてくれた。川島の気迫の守り、中沢の冷静さ。サーカーでこんなに興奮したのは初めて。ありがとう!そしてお疲れさまでした。


June 26, 2010

下の娘は涙をこぼす

高校時代、担任の先生の説得に耳を傾けないで転校してしまったことを悔やんで、20歳の下の娘はぼろぼろ涙をこぼす。後悔なくて何の人生か、後悔の固まりみたいな私をみろ、後悔こそ元気のもとだ!なんてことはさすがに言えず、じっと抱きしめる。私が10代のころ、世俗にまみれて老醜を晒してまで生きているなんて考えられず、死に憧憬していたころ母がいった一言「ものごとは順番だ、おらが死んだらからにしてけれろ」。これで夢見る少女はハッと現実にかえったのであったな〜。おなじ事をむすめをだきしめなから言う。これも文化の伝承か。


June 25, 2010

安藤対馬の守に光を

広小路亭昼席で「漢方復興物語」をかける。今朝のW杯で日本が勝利、こちらも挑戦しようという気持ちになっていい刺激だ。昨日の神田一門会では「幕末日陰の英雄たち」で山緑、春陽くん3人で出演。打ち合わせも何もなかったけど、安藤対馬の守のPRをばっちり。安藤公が坂下門で水戸の脱藩浪士に切られ、いわきに戻ったその年の暮れに会津藩が京都守護職を命じらる。会津藩あづかりの新撰組が誕生、池田屋で長州藩士たちを血祭りにあげると、NHKの龍馬伝に繋がっていくのであった。
いわゆる為政者であった安藤公は有名ではないけど、坂下門で切られるまで、2年3ヶ月という短い期間に外務大臣としては諸外国と対等に交渉し、総理大臣としては公武合体を成功させ、法務大臣としてはその間、ひとりも死刑囚を出さなかった、いい政治をした、100年先の国益を見極める想像力と実行力、アメリカのご期限伺いしている今の日本ではだれが総理になっても望めないとしたらいかにも残念無念だ。

June 22, 2010

北回帰線

サロンの人たちと、出版記念会で会をもりあげてくださったホキ徳田さんのお店「北回帰線」に行った。六本木の駅から歩いて3、4分の絶好の立地、店内はヘンリーミラーの絵画が沢山。広さもほどよく、窓の外には六本木ヒルズととてもいい雰囲気のお店、場所柄かお値段も立地で(笑)ホキさんの背後霊みたいな照明をあてられて、一曲歌わせてもらいました。



June 21, 2010

佐藤栄佐久さん、がんばれ

テレビでは連日のようにサッカーワールドカップの話題、はじまるまではけちょんけちょんに言われていた岡田監督、作戦あたってよかったね(笑)負けても、すがすがしく久しぶりのいい話題でもりあがるの当然だ。
きょうは香蝶庵でアマチュア弟子さんたちの稽古。こちらも段々に上手くなって来ていて、私としても嬉しい。
稽古が終わったとき、元福島県知事で友人の佐藤栄佐久さんからお電話が。佐藤さんが業者の便宜を図るよう天の声を発したという「坂本証言」、偽証罪で検察審査会へ申し立てをしていたのが決定したとの連絡。検察審査会というのも、いまいちあてにはならないけれど、とにもかくにも佐藤さんの無実が一日もはやくはれることを祈ってます!