February 27, 2009

袴田巌死刑囚の今」

袴田巌死刑囚の今」という院内集会に参加した。元裁判官の熊本さんの発言にはこちらももらい泣きしてしまった。
「袴田君に対して心ならずも判決を書いたのは29歳のとき。巌君は72歳になろうとしている。時間の経過が、なんと早くて…長いんでしょうか。昨年アムネスティの招待でアメリカへ行った。日本のお粗末さを痛感。私たちは真面目に税金を払っている。日本は本当に民主主義なのだろうか。いのちの続く限りがんばる。何か方法がある筈だと毎日考えたりつぶやいたりしている」
嗚咽をこらえながらの発言。司法に携わる人のあるべき姿をみたような気がした。熊本さんは面会を求めても拘置所の所長の考えて許されないという。袴田さんは精神疾患状態だそうだが、拘置所がどういう処置をしているか分らない。外部医者に見てもらうことも出来ないという。これらの人権侵害、なんとかならないのだろうか。私たちも何か方法がある筈だと毎日考えるしかない。

February 25, 2009

名物、東松山の焼鳥

 サロンの一期生、天草と東京を行ったり来たりの笠井洋子さんが久しぶりに帰ってきた。「お帰りなさい」と、有志で東松山の焼鳥(やきとん)を食べにいく。4時の開店に間に合うように3時半に駅に到着。お店の前でなぜか三線を持参の嶋崎さんが演奏を始める。
ほどなく開店。「うちは時間前には開けないから」のママさんの挨拶に迎えられ早速カシラをいただく。もういいと言うまで次々と出てくる、その美味しいこと。その日の朝、取れ立てのレバ刺しは絶品。笠井さんは用があって早めにお別れ。後のメンバーで駅前でのみなおしたものの、翌日判明したのは池袋の駅に着いたにも関わらず、寝過ごして始発に乗ったまま、途中でタクシーで帰った人が2人いたということ。それぐらい美味しい東松山の焼鳥でした。



February 15, 2009

いわきで合同発表会

いわき湯本温泉の「フラ・温博」の企画「お江戸の粋な言葉あそび」の生徒さんたちの発表会を兼ねた講談の会が「わ可ば」で開催された。10時半頃から皆さん集まって着付け、稽古、東京からは宿泊組が三人、当日参加が一人の計四人が短い講談を披露、石川町からは角田さんが「もろみ酢」を持参でPR。私は司会進行と講談一席、大入り満員のお客さんを前に、にぎやかにたのしくあっという間の一時間半でした。いわきの女性の元気にはみなびっくりしていたけど、そう、浜の女はとことん明るいのです。「これからが面白そう」といわきの皆さん、もしかしたら続くかもしれません。

February 13, 2009

「ポチの告白」


「ポチの告白」警察の実態がよ〜く分り、ぞっとする映画。と同時に今後、警察からどう身を守るか、それを教えるのが教育では?警察官になって最初にやらせれる領収書の偽装、犯罪に手を染めることからスタートするとは、言葉もない。映画の後はスペーズゼロで狂言。寝てしまうかな?と思ったけど、どうしてどうして型のある所作に見入ってしまいました。充実した一日、でも腰痛が…。



February 07, 2009

「哀しみの母子像」発表

「女性と仕事の未来館」で「哀しみの母子像」発表。抜き読みリハの時に1歳7ヶ月のお子さんを連れて参加した、司会の平井さんが客席ですすり泣いていて…
もしやと思ったら…やはり講談が始まると客席からたえず聞こえてくるすすり泣き。
母親が子どもたちの死を知らされる場面で、私は不覚にも泣いてしまった。私が泣いてどうするの?!あ〜未熟者!
32年前の事故でも決して過去のことではない。日本の「平和と安全」のためにあるという米軍基地がいったい誰を守っているのか!「みなさんは米軍基地が日本を守る為にあると信じているでしょうが、それは政府のプロパガンダ。米軍基地はアメリカが日本政府を支配する為にあるのです」ベトナム帰還兵のアレンネルソン言葉は重い。
終了後、駆けつけてくれた講談サロンのメンバーや名古屋の友人たちと打ち上げ。昨年からの取り組みで哀しい重いテーマだっただけに心からホッとした。これから手を入れてもっともっといい作品にしていこう。